Theme 2:労働力人口の急増
第4章 女性の労働における「新しい問題」
第3章では,
女性の労働参加率上昇が経済的な困窮によるものではない
ということを説明した。実際,非正規雇用を選択する理由として「家計補助・学費」や「正規雇用がない」を挙げる主婦は,労働参加率が上昇し続けた2019年まで減少傾向にあった。
しかし,仮に女性の労働参加率上昇を望ましいと考える人であっても,この中身をめぐってはやや評価が分かれる。第4章では,その評価をめぐる論争について概観し,女性の労働参加に関する問題が新しい段階に入りつつあることを説明する。
なお,この章の内容は第1部の主要なテーマである「バブル期並み」の違和感とほとんど関係がない。そのため,アベノミクスの問題がどこにあるのかを探るというだけならば,このページは飛ばしてもかまわない。
1.評価をめぐる論争の構図
第4章で説明するのは,
- ①女性の労働参加率上昇は望ましく,その中身についても評価する
- ②女性の労働参加率上昇は望ましいが,その中身については評価しない
- ③女性の労働参加率上昇は望ましくない
のうち,主に①と②の違いに関するものである。
これらの評価の違いは究極的には価値観の問題だ。何を重視するかによって,アベノミクス以降の女性労働者増加に対する見方は変わってくる。以降では,そのことについて
- 非正規雇用
- 管理職
の2つの事例を説明する。
① 非正規雇用選択の理由
アベノミクス以降,女性就業者の数は急速に増加したが,その半数は非正規雇用である。
正規雇用も増えてはいるが,依然として女性の非正規雇用比率は男性よりもはるかに高い。
男性非正規比率 | 女性非正規比率 | |
---|---|---|
2020年 | 22.2% | 54.4% |
結局,女性は正規雇用になりたくてもさせてもらえないということだ!女性の非正規雇用比率が高いのはアベノミクスが虚構であることを示す明確な証拠だ!
仮に大多数の女性が正規雇用を望んでいるのであれば,上記主張は概ね正しいだろう。しかし,実際には
非正規雇用女性の大半が正規雇用を望んでいない
という状況にある[1]。これこそが評価論争を引き起こす原因となっている。
「正規雇用がない」という理由で非正規雇用を選択している人[2]の数は男女でほとんど差がない(むしろ比率でいえば,女性の方が少ない)。一方,非正規雇用を選択する理由として「自由な時間」を挙げる女性は男性の2倍以上いる。すなわち,女性の非正規雇用が多いのは,
女性自身がそれを望んでいるから
ということが大きな理由となっている。この事実に対する評価は,
- 多様性尊重
- 格差是正
のどちらを重視するかによって変わる。以下はそれを簡単にまとめたものだ。
A:多様性尊重を重視する場合
現在の状況に大きな問題はない。多様性の時代において,個人の意思は最大限尊重されるべきだ。それぞれがやりたいと思ったことを行い,自分の価値観やライフスタイルに合わせて仕事のあり方を選択するのが望ましい。本人たちが望んでもいないのに,女性の正規雇用を増やそうというのは多様性尊重に反する。
B:格差是正を重視する場合
現在の状況は大問題だ。女性の非正規雇用が男性の2倍というのは明白な男女格差である。確かに,正規雇用を希望しない女性は多い。しかし,「女性が正規雇用を希望しない」という環境こそ問題なのではないか。この状況を「本人たちの意思」として放置してしまえば,男女格差はより固定化される方向へと進むだろう。
これが評価論争の大まかな構図である。多様性尊重と格差是正は必ずしも対立するわけではないが,常に同じ方を向いているというわけでもない。第6章以降でも説明するが,この構図は女性の労働参加問題にとどまらず,
- 非正規雇用全般にかかわる問題
- グローバル化と福祉の問題
- 情報の完全性と規制緩和にかかわる問題
など,あらゆる分野にまたがっている。
② 管理職希望者の比率
前述の問題がより深刻な形で現れたのは,安倍政権が進めてきた女性管理職促進政策[3]においてである。政府は「2020年までに女性管理職比率を30%まで引き上げる」としていた[4]が,2020年6月に目標達成の先送りを発表した[5]。
政府は,安倍政権の看板政策の一つの「女性活躍」の目玉として掲げる「指導的地位に占める女性の割合を30%程度」に上昇させる目標の達成年限について,「2020年」から「30年までの可能な限り早期」に繰り延べする調整に入った。現状では女性管理職などの割合は30%にほど遠く,「20年の達成は現実的に不可能」(政府関係者)と判断した。
―― 毎日新聞(2020年6月26日)
こうした政府の姿勢に対しては批判も多い。たとえば,以下は某芸人(社会批判YouTuberとして有名)の発言を要約したものである。
女性管理職30%の目標達成を断念,「できるだけ早期に達成」って具体的にいつや!宿題できなかった小学生と同じ言い訳。やる気がないとしか思えない。
しかし,目標が未達になるであろうことは2013年3月に行われた労働政策研究・研修機構(厚労省)の調査によって既に予想されていた。そもそも管理職になりたいと思う女性がそれほどいないということが明らかになったのだ。
この結果は政府に強い衝撃を与えたと予想される。なぜなら,自民党は2012年の選挙で「20年までに30%」の目標を「確実に達成する」と公約に明記していたからだ。裏を返せば,当時の自民党は「管理職を希望する女性自体がそれほど多くない」という事態をまったく想定していなかったことになる。
その後に行われた多数の民間調査においても同様の事実が示されている。それらはインターネットで「女性」「管理職になりたくない」と検索すればいくらでも確認できるだろう。
つまり,この「政府の目標達成断念」についてすら,2つの異なる評価を下すことができるのだ。
A:多様性尊重を重視する場合
政府の目標達成断念は仕方がない。そもそも管理職になりたい女性が少ないのだから。女性たちが嫌がっているのに無理に管理職を任せるというのは,本人にとっても企業にとっても望ましいことではない。
B:格差是正を重視する場合
政府の目標達成断念は問題。本人たちが望んでいるかどうかにかかわらず,無理にでも女性管理職を増やすべきだ。そうしなければ女性の意識も変わらないし,男女格差は固定化され続けることになる。
2.多様性と格差の緊張関係
多様性尊重と格差是正の衝突が単純な問題ではないことについて,もう少し踏み込んで確認したい。
上記の「管理職を希望する女性が少ない」という調査だが,これにはまだ続きがある。以下は管理職を希望しない人に対して,その理由を尋ねたものだ。
このうち最も男女格差があるのは「周りに同性の管理職がいない」という項目である。「モデルになる人がいない」という環境格差が理由ならば,女性の管理職が少ないことを単に「女性自身の選択の結果」と切り捨てることはできないだろう。この点を考慮すれば,「女性管理職を無理にでも増やすべきだ」という意見にもそれなりの説得力がある。
しかし,女性管理職を増やそうにも,希望する人が少ないとなれば,まずは「管理職になりたい」と思う女性を増やす必要がある。そうしたなかで注目されたのが,2019年に開始されたIBMの女性管理職候補者向けのプログラムだ。
企業は「なりたがらない」「昇進・昇格を嫌がる」と女性の意識を理由にあげます。ただ本気で女性を登用したい企業は対策も打っています。日本IBMは19年に管理職候補者向けの年間プログラムを始めました。(中略)プログラムの実施で,「管理職になりたくない」とする回答は4割から1割に減少。19年末時点で女性管理職比率は17%に上昇しました。
―― 日本経済新聞(2020年7月27日夕刊)
確かに,こうした動きが広まれば,男女格差は是正されていくことだろう。しかし,ここで多様性の問題が浮上することになる。なぜなら,「セミナーで当人の希望が変わるように仕向ける」というのは多様な価値観の尊重に反するものだからだ。
女性が管理職を目指すよう気持ちが切り替わるならば,それは良いことじゃないか!一体,何が多様性に反しているというんだ!
もしこのように考えたならば,それは「女性も管理職を目指すことが望ましい」という特定の価値観を持っている証拠である。仮に政府主導で「専業主婦になりたいと思わせるセミナー」が大規模に開催されたとしても,同じことが言えるだろうか。
多様性尊重とは様々な価値観を認めることだ。すなわち,
- 管理職を目指すという価値観
- 管理職を目指さないという価値観
- 専業主婦を選択するという価値観
のいずれも等しく認められなければならない。実際,冒頭に述べた「女性が社会進出をするのはよいことだ」という考え方すら,特定の価値観にすぎず,それを息苦しく感じる人も一定数存在する。
「ママはなんで働かないの?」。わが子のためによかれと思って専業主婦を続ける女性が,中学1年の娘からこう聞かれて大ショック! こんな投稿が女性向けサイトで話題になっている。
―― J-CASTニュース(2019年8月6日)
多様性を重視するならば,管理職という選択も専業主婦という選択も当然に尊重されるべきだろう。しかし,「それぞれが希望する選択を尊重すべきだ」となれば,女性管理職が少ないことは「それぞれの希望」の結果なのだから当然の帰結ということになる。
これらは単純化した議論ではあるものの,重要なポイントを含んでいる。それは,
多様性尊重と格差是正,どちらをとるにしても,デメリットを受け入れる必要がある
ということだ。
- 多様性尊重:女性管理職を目指す人が少なくても仕方がない
- 格差是正:特定の価値観で縛らなくてはならない
すなわち,
多様性尊重も格差是正もどっちも大事!どっちかとかじゃなくて,両方やればいいだけ!何でこんな簡単なこともわからないの?
というのは通用しない。女性の労働に関する問題は既にこの段階に来ているといっていい。
3.フェミニズムの行方
女性の社会進出を促進する人たちの見解といえば,長らく以下のような認識が主流であった。
これまで女性は男性中心の社会で抑圧され続けてきた。しかし,そのような古い価値観は破壊されるべきであり,女性にとっても自由で平等な社会が実現されなければならない。女性が女性らしく生きられる世の中を目指そう!
このような考え方を便宜的に従来型フェミニズムと呼ぶことにする。
従来型フェミニズムでは
- 女性が男性と同様,労働に参加したいと考えている
- それにもかかわらず,男女の間に壁があり,思うように参加することができない
という2つのことが前提となっている。言い換えれば,多様性尊重と格差是正が衝突するとは想定されていない(両者は伝統的価値を敵とした協力関係にあった)[6]。しかし,時代が進み,従来型フェミニズムの役割は低下しつつある。
何を言っているんだ!日本は依然として男性中心の社会じゃないか!まだやるべきことはたくさん残っている!
仮にそうだったとしても,(労働参加という点に関しては)そのウェイトが以前より小さくなっていることは間違いない。実際,現在の日本において女性の社会進出に反対を表明する者は少数派。である。
それどころか,(伝統的価値を重視しているとされる)安倍前首相が,女性の積極採用をうったえ,ことあるごとに多様な働き方を主張しているのが昨今の状況である。したがって,(少なくとも明示的には)多様性尊重と格差是正が抑え込まれているわけではない。むしろ問題の本質は,政府が多様性尊重と格差是正の両方を並行して掲げていることにある。
この「新しい問題」のウェイトは今後さらに大きくなるだろう。しかし,従来型フェミニズムでこれを解決することはできない。なぜなら,多様性尊重と格差是正の衝突が想定されていないからだ。逆にいえば,この「新しい問題」を解決しようとするなら,まずは両者が衝突する可能性を直視するところから始めなければならない。しかしそれは同時に,従来型フェミニズムの前提を崩すことも意味しているのである[7]。
- ^1非正規雇用の理由に関するアンケート調査は複数の理由があってもひとつしか選べないため,必ずしも正規雇用を望んでいないと断言できるわけではない。
- ^2「正規雇用がない」という理由で非正規雇用を選択している人は不本意非正規雇用労働者と呼ばれる。第6章で詳述。
- ^32010年12月に閣議決定(第3次男女共同参画基本計画)。厳密には「指導的地位」であり,①議会議員,②課長相当職以上,③特に専門性の高い職業,などを指す。
- ^4政府は2015年12月の時点で既に30%比率を「努力目標」へと格下げしており,このニュース自体は特別目新しいものではない。
- ^5この例として,19世紀の第1次フェミニズムが挙げられる。女性参政権や女性が教育を受ける権利を要求する運動は,格差是正であると同時に,多様性を尊重するものであもあった。
- ^6この種の議論はフェミニズムにおいて1960年代から既に行われている。しかし,別ページで詳述するように,それがフェミニズムの中核的な問題として扱われることは少なかった。