第1部 - 1:労働市場と統計データ(総論)

Theme 2:労働力人口の急増

5章 高齢者の労働参加

第5章では高齢者の労働参加についてみていきたい。女性と同様,高齢者の労働参加率もアベノミクス以降に急上昇している。

15-64歳 65歳以上
2012年 5,684万人 596万人
2019年 5,832万人 892万人
変化幅 + 148万人 + 296万人

したがって,以下のような主張が誤りであることはすでに述べた通りだ。

結局,安倍政権は強者の味方。首相は「雇用が改善した」といってひとり喜んでいるけど,じゃあそこに弱者はどれだけ含まれているのって話。自民党政治のなかではいつも女性や高齢者などの弱者がないがしろにされる。

しかし,ここで注意したいのは,そもそも高齢者は弱者なのかという点である。「高齢者は弱者ではなく強者だ」という主張も1990年代から散見されており,この点は女性以上に議論の分かれるところである(女性を強者とする意見は日本において多くない[1])。

テレビの討論番組で,そのエコノミストは,確か「ジャクニクロウショク」と発言したように記憶する。(中略)弱肉強食といえば,力の弱いものは強いもののエジキになってしまうこと。「若肉老食」であるなら,血気盛んな若者は弱者であり,高齢者は強者ということになる

―― 産経新聞(1996年5月12日東京朝刊)

結論からいえば,経済という面だけとっても,高齢者には弱者としての側面強者としての側面がある。まずはその両面について確認し,次いで高齢社会という言葉が大きな誤解をもたらしている可能性について説明する。

1.経済的弱者としての高齢者

まず,高齢者の経済的弱者としての側面を各種統計で見ていきたい。

① ソフトデータ:アンケート調査

以下は,高齢者の就業理由である。

内閣府の調査が顕著だが,「経済上の理由」を挙げる人が圧倒的に多い。単純には比較できないが,主婦の労働参加の場合と比べて,あまりポジティブな印象は受けないだろう。

なお,数年に1回のペースで内閣府が行っている「高齢社会対策に関する調査」によれば,60歳以上の約4分の1が経済的な生活状況に関して「多少心配」「非常に心配」という状態にある

もっとも,これらのデータには目立った変化がなく,政策の影響を受けているとは考えにくい。

② ハードデータ:被保護者調査

高齢者の4分の1が「生活が心配」と回答しているといっても,

生活が苦しいと言っているが,単に高齢者が贅沢をしているだけではないのか

という可能性も考えられる。しかし,被保護者調査(厚労省)によると,65歳以上の約3%が生活保護受給者となっており,生活を心配する高齢者が贅沢をしているとは考えにくい。わずか3%と思うかもしれないが,人口でいえば約100万人に相当する。生活保護受給者が約200万人であることを考慮すれば,決して少ない数字ではない。

生活保護と聞くと母子家庭障害者などをイメージするかもしれないが,今や受給者の約半数は高齢者世帯となっている

なお,アンケート調査と同様,高齢者の生活保護件数に関する統計も,アベノミクス前後で大きく変化したわけではない。

2.経済的強者としての高齢者

次に,高齢者の経済的弱者としての側面を見ていきたい。以下は「2人以上の世帯」が持つ平均金融資産額である。

貯蓄 うち預金
2019年 1,755万円 1,138万円
  • ※ 貯蓄とは預金のほかに有価証券や保険などを含んだ金融資産額である。

日本人の平均が預金だけで1,000万円以上だって?俺はそんなお金持ってないぞ!これは明らかに高すぎる!

このような印象を持った人が大半だろう。単身者世帯が含まれていないことも理由のひとつだが,最大の理由は

高齢者世帯が平均貯蓄額を釣り上げているから

である。

年齢 貯蓄 うち預金
2019年 60歳未満 1,201万円 749万円
60歳以上 2,285万円 1,510万円

有価証券の偏り具合はさらに鮮明だ。アベノミクスで株価は大幅に上昇したが,その恩恵を最も受けたのは高齢者世帯といっていい。

一方,20~30代は貯蓄が少ないのみならず,住宅ローンなどの借入も大きいため,純貯蓄ベースではマイナスとなっている。

加えて,高齢者と比べれば世帯数も少ない(20代は世帯主の子であるか,単身世帯の場合が多い)。それゆえ,2人以上世帯が保有する金融資産は高齢者世帯に集中する格好となっている

老後2,000万円問題再考

ここで老後2,000万円問題について考えてみたい。老後2,000万円問題とは,2019年9月,金融審議会(金融庁)が政府に「95歳まで生きるには年金と別に夫婦で約2,000万円必要」という報告書を提出し,政府がその受け取りを拒否した問題である。

金融庁の金融審議会(首相の諮問機関)は25日,総会を開き,老後資金として年金収入以外に2,000万円が必要とした報告書について,今後議論しないことを決めた。麻生金融相への答申も見送る。

金融審の作業部会が6月に公表した報告書には批判が集まり,麻生氏が「政府の政策スタンスとは異なる」として受け取りを拒否。報告書の取り扱いが宙に浮いた状態となっていた。

―― 読売新聞(2019年9月25日東京夕刊)

これについては,

老後までに2,000万円貯めろだって?ふざけたこと言うな!

結局,年金制度はもう破綻したってことだ!政府がそれを認めず受け取りを拒否するなど終わっている!

と,激しい批判が浴びせられた。

しかし,これまで述べたよう,高齢者世帯の貯蓄額は平均で既に2,000万円を超えている(金融審議会のデータも上記家計調査に基づいている)。すなわち,金融審議会の報告書は何ら驚くに値しない内容だったのだ。批判が噴出したのは,世間の認識が実態とずれていたからにほかならない。

3.長寿社会と格差

このように,高齢者には,

  • 経済的弱者:生活保護受給世帯の半数が高齢者世帯
  • 経済的強者:金融資産の大半が高齢者世帯に集中

という2つの異なる側面が共存している。このことが意味しているのは,

高齢者世帯こそ激烈な経済格差のなかにある

ということだ。以下は年代別のジニ係数である。

ジニ係数
所得の不平等さを表す指数。格差が小さいほど0に近づき,格差が大きいほど1に近づく。

したがって,高齢者とひとくくりにして「強者だ」「弱者だ」と論じるのはかなり乱暴な主張だといえる。

もっとも,高齢者の経済格差が大きいのは日本特有の問題ではない(日本の場合,高齢者の格差は安倍政権でわずかに低下している)。時代や国を問わずあらゆる社会においてみられる「宿命的」現象といえる。その理由は

わずかな格差であっても,時間がたてば大きくなるから

という,至極当然の事実にある。なお,前掲のジニ係数は当初の所得に対して社会保障や税金で調整を行ったものであり,何もしなかった場合,年齢にしたがって格差が大きくなることがよくわかる。

このことは現実の感覚とも整合的だ。同じ企業ならば新入社員に給料格差はほとんどない。しかし,そこから35年たっても給料が同じだと思う人はいないだろう。50代にもなれば,役員から閑職まで多種多様である。

逆にいえば,若いうちの格差はわずかなものでも重要となる。所得格差はその後さらに開いていくのが普通であり,自然に縮小することはあり得ないからだ。高齢者の格差の方が大きいにもかかわらず,若年層の格差の方が問題視されるのはこのためである。

経済以外の格差

なお,格差は所得や資産だけにとどまらない。再び新入社員の例を出せば,35年間どう働いたかによって技術格差能力格差も大きく開くことになる。所得格差の是正のみを訴える人はこの点を軽視している可能性が高い

たとえば,学生の例をみても,高校からサッカー部に入る人が,中学からの経験者に追いつくのは至難の業とされる。また,偏差値の低い高校の生徒が名門大学を目指し,進学校で勉強していた生徒と張り合うには並々ならぬ努力が必要である。このように,わずか2~3年の経験であっても,その格差を埋めることは容易ではない。30~40年の社会人生活における職能,技術,ノウハウの格差を埋めることなど不可能といっていい。

このように,高齢になるほど人材の性能それ自体に著しい格差が生まれることになる。それを無視して所得を同じにすることはかえって不公平になりかねない。このほか健康格差などもそうだが,所得にとどまらず,長年の蓄積によって開いたものを取り戻すというのはきわめて難しい。それゆえ,高齢者の場合,政策等での是正が困難な「宿命的」な格差となってしまうのである。

4.長寿社会をどう生きるか

高齢者の格差は半ば必然的現象である。よりショッキングな言い方をすれば,

寿命が延びると,格差は広がる

ということだ。これが長寿社会における最大の課題である。しかし,そのことが正しく認識されているのかは疑わしい。

日本が高齢社会になったのは子供を産むことへの価値観が変わったから。戦後間もない頃とは違い,各家庭に子供は1~2人になった。一方,戦後すぐの子供たち(団塊の世代)は高齢者となり。高齢者の割合が上昇している。

一般に「少子高齢化」という表現がされるため,上記ツイートのように,高齢者比率上昇の原因は少子化にあるとされることが多い。それも事実ではあるのだが,やはり最も大きな原因は,

高齢者比率上昇の原因は少子化にある

と考えられることが多い。実際,日本の人口動態では長らく合計特殊出生率の低下が問題視されている。

日本の少子高齢化は世界に例のない速度で進行している。(中略)

高齢者(65歳以上)が人口に占める割合は20%に達した。一方で,女性が産む子どもの数を示す合計特殊出生率は1.289まで低下し,年少者(15歳未満)人口は14%を割った。いずれも先進主要国の中で,最高あるいは最低レベルだ。

―― 読売新聞(2006年1月3日朝刊,社説)
合計特殊出生率
その年の15~49歳女性の出生率を合計したもの。1人の女性が一生涯に生む子供の人数と解釈される。

もっとも,

少子高齢化だから人口が減少する

という言い方がされるが,減少するのは将来の人口見通しであって,すぐに人口減少が始まるわけではない。日本は1970年代後半から少子化と高齢化が始まったが,人口減少(自然減少)へと転じたのは2005年に入ってからである。

高齢化の問題は少子化の問題とほとんど同一に語られる(子供が減っているから,相対的に高齢者が増えているというロジック)。しかし,実際のところ,少子化は高齢化にそれほど影響を与えていない。結論からいえば,高齢化の主要因は

日本人の平均寿命が延びたこと

である。たとえば,「合計特殊出生率がピークの1975年頃から一切少子化が進まなかった」という極端な仮定を置いたとしても,高齢者の比率は2割を超えていたと想定される。以下は

  • 少子化が進んでいない(仮定)
  • 平均寿命が延びた(現実通り)

という条件でシミュレーションした場合の高齢者比率(65歳以上比率)だ。

一方,以下は,

  • 少子化が進んだ(現実通り)
  • 平均寿命が延びていない(仮定)

という条件でシミュレーションした高齢者比率だ。少子化が進んでいたとしても,平均寿命が延びていなければそれほど高齢化は進まない。

すなわち,問題の中核は少子化ではなく平均寿命の伸長長寿社会)にある。

その違いが一体なんだというのか!高齢者の比率が上昇していることに変わりはないじゃないか!

長寿社会を認識するかどうかで,問題の見え方が変わってくるものが2点ある。以降では,そのことを説明する。

① 格差問題

第1に,

  • 長寿社会
  • 長寿社会ではない高齢社会

のどちらかによって,格差問題の解釈が異なってくる。結論からいえば,長寿社会の格差問題はより深刻になる

長寿社会ではない高齢社会とは,単に「特定の世代」が多いということしか意味しない。たとえば,以下のような解釈がそれにあたる。

団塊の世代が生まれた頃は第1次ベビーブームの時代。一方,今は少子化で子供が少ない。このギャップが高齢社会として表れている。

団塊の世代が多いことが理由なら,極端な話,その世代が亡くなれば高齢化は解消していくことになる。高齢者の格差が開いていたとしても,それは「その世代に目立った格差がある」ということしか意味していない。何ら対策を打たなかったとしても,将来的には(世代消滅という形で)自然と格差は縮小する。

しかし,長寿社会の場合,世代の人口構成とは無関係に格差が永続する。仮に子供の数が不変でも,その子供たちが130歳まで生きるなら,高齢者(65歳以上)の比率は約50%となり,超高齢社会となる。加えて,

時間とともに格差は拡大する

という前述の条件を考慮すれば,それは同時に超格差社会となっていることだろう。

日本の高齢化は長寿問題としての色彩が強い。すなわち,高齢者の格差問題は「特定の世代で格差が大きい」のではなく,寿命の伸長にともなう構造的格差となっている。高齢化の原因を少子化だと解釈してしまえば,この重大な問題を見逃してしまうことになるだろう。

② 高齢者の定義

第2に,日本が長寿社会であるとの解釈をとった場合,

そもそも65歳は高齢者なのか

という問題が浮上する。以下は年齢別の死亡率および累積人口変動率(累積生存率とほぼ同じ)である。

退職年齢(60-65歳)の死亡率でみれば,

  • 1955年:1.80% > 2019年の75-79歳(1.64%)
  • 2019年:0.37% < 1955年の45-49歳(0.47%)

となっている。すなわち,高度経済成長が始まったころの退職年齢とは現在の80歳程度であり,一方,現在の退職年齢は当時の40代半ばくらいに相当する。それにもかかわらず,高齢者の定義は1950年代から「65歳以上」で変化していない。

確かに日本で「高齢者」の比率は増加しているが,長寿社会においてはその中身が大きく変わってくる。このため,一部では高齢者の定義を見直すべきだという議論も浮上している。

日本老年学会などは5日,現在65歳以上とされている高齢者の定義を75歳以上に見直す提言を発表した。65~74歳には「准高齢者」という新たな区分を設け,就労やボランティアに参加できる枠組みを創設すべきだとしている。

近年,元気な高齢者が増えていることから、同学会は2013年に高齢者の定義の再検討に着手。1990年代以降の高齢者の身体,知的能力,健康状態に関する国内のデータを収集,分析したところ,ここ10~20年間に5~10歳程度,若返っていることがわかった。

―― 読売新聞(2017年1月6日東京夕刊)

このことは高齢者の労働に関する議論にも影響する。健康寿命が伸びていることに加え,医療技術の進歩や施設のバリアフリー化なども考慮すれば,現代の60代は1950年代の60代よりもはるかに働きやすい環境にある。以下は2001年からの比較であるが,その間にも日本人の健康寿命は伸び続けてきた。

健康寿命
健康に生活できるまでの寿命。寝たきりや認知症などの要介護状態を差し引いた期間。

こうした状況に対し,長寿社会の観点から定年延長や年金受給年齢の問題が論じられることは少ない。実際,日本における年金の問題の議論はもっぱら財政問題(財源不足)に絡んだものである。しかし,長寿社会化という認識があれば,財政に何ら問題がなかったとしても,

多くの健康な人間が仕事をせずに年金で生活する

という状況は異様なことだという意見が出てきてもよいはずだ。


長寿社会という解釈は政策論争にとどまらず,個人の生き方にも大きな影響を与える。たとえば,昨今,高齢者による暴力事件の増加が社会問題として注目を浴びている。

こうした現象は「高齢者が暴力をふるうほど健康になった」という点で長寿社会と強い関係がある。健康な高齢者のエネルギーが「間違った方向」に使われているのだ(いわゆる老害問題)。それでは,「間違っていない方向」「正しい方向」とはどういうものなのだろうか。実はこれがまだ明確に定まっていない。

別ページで詳述するが,当サイトでは老害を「あるべき高齢者像から外れた者」と定義している。ただし,「あるべき○○像」とは歴史的に形成されるものだ。この長い日本の歴史において60~70代が暴力をふるえるほど健康になったのはここ最近の話といっていい。すなわち,「あるべき高齢者像」のモデルが存在しないのである。

言い換えれば,現在の高齢者はこのモデルを新たに創造しなければならない立場にいる。いずれにしても,高齢社会の本質が長寿社会にあるという現実を認識しなければ,老害問題も格差問題も今より良くなることはないだろう。

  • ^12019年に内閣府が行った調査によれば,社会全体における男女の地位は「男性優遇」と答えた人が74.1%であるのに対し,「女性優遇」と答えた人は3.1%であった。