第2部 - 1:企業行動とデフレ経済(デフレ経済)

Theme 2:デフレ経済の理論

4章 マクロ経済の変容

前章では,法人企業統計から以下のような企業行動を読み取ることができた。

失われた20年 アベノミクス
債務 削減 やや増加
設備投資 削減 やや増加
在庫 削減 削減ペース鈍化
投資資産 増加 急増

第4章では,失われた20年における債務設備投資在庫の3つについて考える(投資資産については第8章で説明)。

前章で述べた通り,失われた20年では,

  • 内部留保が債務返済に充てられる
  • 同時期に設備投資,在庫が削減される

という動きがみられた。通常,企業が銀行借入を増やすのは,新たな工場を建設したり,新しいプロジェクトを実行したりするときである。その点を考慮すれば,バブル崩壊後の動きは,

ビジネスを縮小し(設備投資削減,在庫削減),不要になった債務を返済した

と考えるのが妥当だろう。これは典型的なデフレ不況の姿である。まずはデフレ不況の関係について整理する。

1.デフレと不況

今では少なくなったものの,依然として「デフレと不況は無関係」という主張が散見される。

デフレとは物価が下落することであって,好況・不況とは何の関係もない。好景気で物が安くなる時もあれば,インフレで不況のときもある。

しかし,これから述べるよう,多くの場合,デフレは不況を伴う。まずはその経済学的な仕組みについて確認する。

① 需要曲線のシフト

デフレ不況需要不足によって生じる。物が売れなくなると,企業は,

  • 値下げ(価格調整
  • 生産縮小(数量調整

という2つの手段をとることになる。

企業が一斉に価格調整を行えば,一般物価は下落する。すなわち,デフレである。一方,企業が一斉に数量調整を行えば,国内の総生産量は減少する。国内の総生産量とはGDPのことであり,GDPの減少とは定義上不況である[1]。したがって,需要不足が生じた場合,デフレと不況はセットで表れることが多い。

なお,

  • 物価下落の理由が需要不足ではない
  • 需要不足が値下げでしか調整されない

のどちらかが当てはまる場合,理論上は

デフレだが不況ではない

という状態が成立する。ただし,このようなケースのデフレはほとんどないといっていい。後述するよう,日本で問題となった「デフレ」も需要不足によって引き起こされたものである。

② 「デフレ」という用語

ここで,「デフレ」という言葉に2つの異なる使い方があることを説明したい。

  • 狭義のデフレ:一般物価水準の継続的下落
  • 広義のデフレ:需要不足,設備投資縮小,金融収縮などを含んだ現象の総体

中学社会の教科書などで習う「デフレ」は狭義のデフレである[2]。一方,

日本経済の最大の問題はデフレだ!政府はデフレ脱却を目指すしかない!

と,学者,評論家,政治家などがよく使っている「デフレ」は主に広義のデフレである。

何で教科書と違う使い方をしているんだ!間違った使い方をするな!

需要不足によって生じる諸々の経済プロセスを表現する適当な言葉がなかったため,いつしか「デフレ」という言葉は「物価の下落」以上の意味をもって用いられるようになっていった。なお,このサイトでは広義のデフレについて示す場合,「デフレ経済」という言葉を使って明示的に区別している。

こうした「デフレ」の二義性を示す顕著な例としては,安倍前首相がたびたび行ってきた発言を挙げることができるだろう。

首相は総裁3選を決めた日の記者会見で「任期中にデフレ脱却の道筋を描く」(9月20日)とも語っていたが,3年前の総裁選で再選した時も「もはやデフレではない,という状態まで来た。デフレ脱却は,もう目の前です」(15年9月24日)と語っていたことも覚えておきたい。

―― 毎日新聞(2018年10月5日,東京夕刊)

この「デフレではないがデフレ脱却でもない」という発言について,毎日新聞は「安倍語」と呼んで批判しているが,文脈からして前者のデフレは狭義のデフレで,後者のデフレは広義のデフレだ。第6章で説明する通り,日本は依然として広義のデフレから脱却できていない。

2.デフレ経済の構造

デフレ経済(広義のデフレ)の問題点は価格調整(狭義のデフレ)ではなく,むしろ数量調整の方にある。たとえば,以下のような会話ではその観点が欠けていることがわかる。

確かに,賃金が半分になろうとも,周りのすべての物が半額になっているならば,(社会的な混乱は生じるかもしれないが)それが不況に結びつくことはないだろう。しかし,現実にはそうならない。なぜなら数量調整が存在するからだ。企業は値下げ賃下げで対処するかもしれないが,同時に,生産縮小リストラで対処する可能性もある。

① デフレ経済の数量調整

上で述べたよう,企業は需要の変化に対して,

  • 価格調整
  • 数量調整

という2つの手段で対処する。しかし,需要不足(デフレ経済)の場合,数量調整の方が選択されやすい。このことは経済学者J.M.ケインズが次のように指摘している。

それゆえ臨界水準――この水準を超えると真性インフレーションが開始される――を挟む両側ではある種の非対称性があるように思われる。というのは,有効需要が臨界水準以下に収縮した場合,費用単位で測ったその額は減少するのに,有効需要がこの水準を超えて拡大した場合には,費用単位で測ったその額を増加させる効果は一般には存在しないからである。

―― J.M.ケインズ『雇用,利子および貨幣の一般理論』

上記の引用はほとんどの人にとっては意味不明だと思われるため,簡単に解説したい。

A:需要超過

需要超過の場合(有効需要が臨界水準を超えて拡大した場合),「需要が増えたんだからもっと作れ」といわれても,そう簡単にできるものではない。たとえば,2020年にはコロナ禍でマスク需要が急増したが,増産が追い付かず,価格が急上昇する結果となった。このように,需要超過の場合は価格調整が強く表れやすい。

B:需要不足

一方,需要不足の場合(有効需要が臨界水準以下に収縮した場合),減産を行うのは容易である。むしろ,賃金や原材料価格などを引き下げる方が難しく,価格調整よりも数量調整の方が強く表れやすい。

したがって,ケインズが指摘する通り,需要超過と需要不足には「ある種の非対称性」が存在するといえる。

  • 需要超過(インフレ経済):数量よりも価格で調整されやすい
  • 需要不足(デフレ経済):価格よりも数量で調整されやすい

なお,世界で「ハイパーインフレ」がたびたび見られるのに対し,「ハイパーデフレ」がないのもこれが理由だ。需要の不足はもっぱら減産によって対処されている。逆に言えば,デフレはわずかな価格下落であっても重大な問題とになる。なぜなら,その背後では価格下落分をしのぐ数量調整(生産縮小)が行われている可能性が高いからだ。

② 生産要素市場への波及

商品の価格調整・数量調整は生産要素市場へと波及する。

企業はヒト,モノ,カネを調達して商品を生産するが[3],商品に対する需要が減れば,当然ヒト,モノ,カネへの需要も減ることになる。

価格調整 数量調整
ヒト 賃金低下 リストラ
モノ 値下げ 生産縮小,在庫削減,工場閉鎖,店舗統廃合
カネ 金利低下 債務返済(内部留保蓄積)

このことは前章で確認した「失われた20年」における

  • 債務返済
  • 設備投資削減
  • 在庫削減

という企業行動とも一致している。

③ デフレスパイラル

需要不足によって生じる労働市場の数量調整がリストラである。債務返済や設備投資削減が進んでいた頃,失業率もまた高水準で推移していた。

すなわち,リストラ債務返済も,本質的には同じ現象が異なる市場に表れているにすぎない。いずれも生産要素の掃き出し(数量調整)である。

ただし,労働市場への波及はより重要である。なぜなら,賃下げ(価格調整)やリストラ(数量調整)は消費の減少を招き,商品への需要不足をさらに深刻化させるからだ。この循環はデフレスパイラルと呼ばれている[4]

したがって,需要不足は原因であると同時に結果にもなっている。


以上より,需要不足の経済には

  • 価格調整よりも数量調整の方が強く表れる
  • 生産要素市場への波及を通じて循環する

といった性質がある。したがって,標準的なデフレ経済は

物価はさほど下落していないが,その間にリストラや債務返済が繰り返される

といった形をとることになるが,これはまさしく「失われた20年」にみられた日本経済の姿といえるだろう。

3.「失われた20年」の検証

最後に,日本経済の問題が需要不足によるものであることをソフトデータで確認する。以下は,日銀短観の景気判断DIだ。失われた20年の部分は失われた10年(3回の不況)とリーマンショックに分割している。

日銀短観
全国企業短期経済観測調査。約1万社に実績や予測をヒアリングし,それを集計したもの。3カ月に1度公表される。

以降では,景気動向の特徴を際立たせるため,製造業のDIを使い,6つのDIが需要不足と連動していることを確認する。

  • ※ 商品への需要不足はモノ(生産要素市場)への需要不足を通じて部品を製造している中小企業などへと波及していく。したがって,需要不足の問題は非製造業(サービス業など)よりも製造業の方に大きく現れやすい。
DI
ディフュージョンインデックス。アンケートで「上昇・拡張・改善」などと答えた割合から「下落・縮小・悪化」などと答えた割合を引いた指数。

DI①:業況判断(企業景況感)と需給

まず,企業の景況感悪化はほとんど需要不足と連動している。

なお,日本はバブル崩壊以降,常に供給超過の状態にある。

DI②:販売価格(価格調整)

需給動向に遅れる形で販売価格も調整されている。すなわち,価格下落(狭義のデフレ)も需要不足によって引き起こされていた可能性が高い。

DI③:在庫(モノの数量調整①)

在庫も需給動向と連動しており,需要不足が生産要素市場へと波及していることがわかる。

DI④:設備投資(モノの数量調整②)

在庫が需要に応じて機動的に変化しているのに対し,設備投資はやや遅れる形で変化している。

DI⑤:雇用(ヒトの数量調整)

労働市場も設備投資と同様,やや遅れる形で需給動向を反映している。

DI⑥:債務(カネの数量調整)

資金繰りも需給動向と連動している。上で述べたよう,債務削減もリストラも需要不足という同一の原因によって引き起こされたことがわかる。

① 東日本大震災の事例

もっとも,このままでは不景気と需要不足の違いが分かりにくい。

雇用が減ったりしてるのって,単に不景気だからでしょ?不景気になったら需要だって減るだろうし,そもそも不景気と需要不足って同じ話なんじゃないの?何で需要不足だけそんな問題視してるわけ?

しかし,2011年3月~6月にかけて,需要と景気は連動していない。この「需要不足ではない業況悪化」の部分は東日本大震災である。

これを見て,

震災が経済に与えたダメージ小さすぎじゃない?

と思った人も多いのではないだろうか。影響が大きくない理由はいくつかあるのだが,そのひとつは,

日本の本質的な問題が需要不足にあったから

だと考えられる。そのことを非常に単純化したイメージで説明したい。

需要不足(デフレ不況)とは,簡単にいえば以下のような状態のことだ。

需要に対して供給が大きいため,物余りの状態にある。そうしたなか,東日本大震災のような供給ショックが起こった場合,どうなるだろうか。

もともと高かった生産余力の一部削られた格好になる。たとえば,需要不足で操業を停止していた東北の工場をイメージしてほしい。それが震災で破壊された場合,工場を失った企業の資産は減少するが,生産活動にはほとんど影響が生じないことになる。

何言ってるんだ!東北の工場はどこも操業していたぞ!でたらめなこと言うな!

もちろんこれは一例であり,場所がどこかということは本質的に関係ない。東北工場を稼働させて,関西工場を停止していた企業ならば,東北工場が震災でダメになった場合,関西工場を再稼働させることで対処できる。すなわち,供給に余力のある経済(供給が需要を上回っている経済)ならば,災害のショックはある程度吸収することができる。

逆に,工場をフル稼働させても生産が間に合っていないような発展途上国などの場合,その生産設備を破壊するような災害は経済に甚大な被害をもたらす。

この場合,少ない生産物をめぐって物価はさらに上昇し,インフレ不況(スタグフレーション)が生じることになる[5]

② リーマンショックの事例

デフレ経済の場合,供給ショックとは対照的に需要ショックは深刻な打撃になる。

たとえば,以下は鉱工業生産の推移である。戦後最大の需要ショックであったリーマンショックの影響がどれだけ大きかったかわかるだろう。

鉱工業生産
国内の生産状況を示す指数。毎月公表され,GDPの先行指標とされている。

よく,

アベノミクスの前はリーマンショックや震災で経済がガタガタになっていた

というような言い方をされるが,リーマンショックが経済に与えた影響は桁違いに大きい。


2011年3月の東日本大震災は未曽有の大災害であった。

それにもかかわらず,経済への影響はそれほど大きくない。このことが意味しているのは震災の被害が大きくなかったということではなく,

あれだけの災害がこの程度の影響になってしまうほど,日本経済は需要不足に傾いている

ということである。しかし,この需要不足がどれほど危険なことかはあまり認識されていない。第5章では,「通常の経済」と比較する形でデフレ経済の異常性について説明する。

  • ^1労働供給曲線が屈折している理由については別ページで詳述するが,いくつかのマクロ経済学でのテキストでは,簡略化のため,「最低賃金があるから」という説明を行っている。しかし,ケインズ自身はその解釈をとっておらず,また,多くの経済学者が指摘するように,最低賃金法がなかったとしても労働供給曲線は屈折することが指摘されている。
  • ^2一般に「ケインズ経済学」と呼ばれるのは,ケインズの経済学ではなく,ケインズの弟子たち(ヒックスなど)が完成させた経済学のことを指す。当サイトでもその慣習に従い,ケインズの経済学を「ケインズの理論」,ケインズの弟子たちの経済学を「ケインズ経済学」と呼んでいる。