第1部 - 1:労働市場と統計データ(総論)

Theme 1:雇用環境の概観

2章 労働力減少説の検証

第2章では前章で紹介した労働力減少説について検証する。

労働力減少説
失業率低下の理由を労働力人口の減少に求める考え方。

労働力人口が減少すれば,景気が一切好転していなくても失業率が低下する場合がある。いわば労働力減少説とは,アベノミクス以降の失業率低下が統計上のトリックであると主張するものである。

アベノミクスで失業率が低下したのは,単に少子高齢化で労働者数が減少したから。景気が良くなったからでも,雇用環境が好転したからでもない。

しかし,

…え?そもそも,何で労働力人口が減少すると失業率が低下するの??

と疑問に思う人も多いだろう。そのため,労働力減少説の検証に入る前に,まずは

  • 失業率の定義
  • 労働力人口減少による失業率低下のメカニズム

について確認する。

1.「働いていなければ失業者」ではない

失業率とは労働力人口に占める失業者の割合のことである。

失業率
失業者数 ÷ 労働力人口 で計算される比率。

そんなこと言われなくてもわかっとるわい!!

こう思うかもしれないが,ここで重要なのは失業者数および労働力人口という概念だ。まず,「失業者」「働いていない人」は同じではない。たとえば,仕事を定年退職し,年金で生活している高齢者などは失業者に該当しない。彼らは非労働力人口として扱われる(そのため,労働力人口でもない)。

  • ※1 生産年齢人口とは15歳以上65歳未満の人口のこと。国際比較などでは生産年齢人口で失業率が計算される場合もあるが,日本では15歳以上人口で計算される。
  • ※2 休業者(就職しているが病気や出産などで休んでいる人)は就業者に含まれる。

一部では生産年齢人口と労働力人口を混同した主張も見られるが,労働力人口は15歳以上人口の6割強でしかない。15歳以上人口に占める労働力人口の割合は労働参加率と呼ばれる。

労働参加率
労働力人口 ÷ 15歳以上人口 で計算される比率。

どうなると「失業者」になるのか

前述の通り,単に「働いていない」というだけでは失業者とはならない(非労働力人口となる可能性がある)。では,どうなると失業者として扱われるのだろうか。それは,以下の3条件を満たしている場合である。

  • ①調査期間中に一切仕事をしていない(パートやアルバイトもしていない)
  • ②仕事があればすぐ就職する予定
  • ③職探しをしている(過去1ヵ月以内)

したがって,

  • 年金で生活している高齢者
  • アルバイトなどをしていない大学生
  • パートに出ていない専業主婦

などはいずれも非労働力人口であり,失業者としては扱われない。また,

  • 家に引きこもったままのニート

なども就職活動をしていないため,失業者としてカウントされていない。

失業者を規定する3条件は国際的にもほとんど統一されている。したがって,以下のような主張は誤りだ。

ヨーロッパで若者の失業率が高いのは,日本のように「大人になる=働く」といった画一的な考え方がないから。学業なり,ボランティアなり,様々な選択肢がある。失業率が高いからといってみんなが困っているわけじゃない。

日本であれ,ヨーロッパであれ,失業者の定義は「就職したいと思って仕事を探している人」である。学業やボランティアを選択して就職活動をしていない人は非労働力人口となるため,失業率上昇の要因とはならない

2.労働力人口減少と失業率低下の関係

次に「なぜ労働力人口が減少すると失業率が低下するのか」というメカニズムについて簡単に説明する。たとえば,以下のような例を考える。このとき,失業率は20.0%となる。

失業者ひとりが就職活動をやめた場合,その人は非労働力人口となるため,失業者と労働力人口はともに減少する。このとき,失業率は11.1%に低下する。

以上のように,高齢化や就活疲れで失業者が労働市場から撤退すれば,非労働力人口の増加(つまり,労働力人口の減少)という形で失業率が低下する。

それは失業者が非労働力人口になった場合じゃないか!就業者が非労働力人口になったら,分母だけが小さくなるから,失業率はむしろ上昇するはずだ!

確かに,就業者が定年退職などで非労働力人口となれば,失業率は一時的に上昇する可能性がある。

しかし,企業が生産を維持するためには,就業者がいなくなった分,新たな人を雇うことで穴埋めしなければならない。それゆえ,結果として失業率が低下する。

労働力人口の減少による失業率低下は,

  • 「悪い失業率の低下」
  • 少子高齢化(人口動態)

の2つに分けられる。ただし,結論からいえば,アベノミクスの失業率低下はこのどちらにも該当しない。

① 「悪い失業率の低下」

「悪い失業率の低下」とは,急速な景気後退などによって,かえって失業率が低下するという現象である。たとえば,就職がうまくいかず,

どこの企業を受けても内定もらえないし,もう就活すんのやめちゃおっかな…

と,就職活動をやめてしまうようなケースがこれにあたる。雇用環境が悪化すると,

  • 景気が良くなるまで待つ
  • 学校に入って勉強しなおす
  • 絶望して何もしなくなる

といった選択がとられやすい。こうなると,失業者は非労働力人口となるので,形式上,失業率は低下する。

この「悪い失業率の低下」はリーマンショック後のアメリカで大きな問題となった。

6月の米雇用統計は,市場関係者を落胆させた。失業率が前月の9.7%から9.5%に低下したのは,労働力人口が前月から65万2千人も縮小したせいだったからだ。働き口が見つからずに職探しをあきらめて労働市場から撤退する者が続出している実態を,かえって浮き彫りにする結果になった。

―― 産経新聞(2010年7月21日)

インターネットで「悪い失業率の低下」と検索すれば,出てくるのはほとんど2010年前後のアメリカに関する記事だ。「悪い失業率の低下」を疑う人の多くは,当時のアメリカのような状況を念頭に置いていると考えられる。

② 少子高齢化(人口動態)

少子高齢化による説明も構造は同じだ。労働市場において,

  • 参加する若年層が減る
  • 撤退する高齢層が増える

となれば,失業者と労働力人口はともに減少し,結果として失業率は低下傾向で推移する。なお,アベノミクスの雇用改善に懐疑的な見方を示す者には,少子高齢化説を挙げる人が非常に多い。たとえば,以下は経済アナリスト中原圭介氏の指摘である。

「アベノミクスによって失業率が低下した」というデタラメな意見が言えるのは,日本経済や日本社会の基本的な構造変化を故意に無視しているからに他なりません。経済識者としては,それくらい矜持がない意見を言っているのです。なぜなら,失業率の低下や有効求人倍率の上昇の背景には,少子高齢化に伴う労働力人口の減少という,誰もが知っている事実がはっきりと横たわっているからです。

―― 東洋経済オンライン(中原圭介,2015年3月2日)

3.労働力減少説は本当に正しいのか

しかし,アベノミクスによる失業率低下は「悪い失業率の低下」でも少子高齢化によるものでもない。なぜなら,アベノミクス以降,労働力人口は減少するどころか急増しているからだ。

以下は失業率低下の要因を分解したものである[1](リーマンショック後の最高値からコロナ禍前の最低値まで)。

この分解から,以下の3点を指摘することができる。

  • 民主党政権期:悪い失業率の低下(労働力人口減少による失業率低下)
  • アベノミクス以後:労働参加率が上昇するなかでの失業率低下
  • いずれの時期も人口動態はほとんど影響を与えていない

要因分解なんて,どうやって計算しているかわからない!安倍政権支持者がつくった都合のいいグラフに決まってる!

このように考える人もいるかもしれないので,他の統計と合わせて雇用環境の変化を確認したい。

① 労働参加率

まず,労働参加率だが,アベノミクス以降に急上昇している。すなわち,アベノミクスによって非労働力人口は労働力人口へと切り替わっていった[2]

一方,民主党政権期(アベノミクス以前)には労働参加率が低下している。したがって,以下のような認識は誤りといっていい。

失業率は民主党政権の頃から一貫して低下してきた。雇用の改善はアベノミクスの成果でもなんでもない。むしろ民主党時代の努力の結果。

確かに,失業率自体は民主党政権期から低下してきた。しかし,その内実はアベノミクスと大きく異なる。後述するように,

人口動態がほとんど影響を与えていない

ということを考慮すれば,民主党政権期の失業率低下は

景気が回復せず,失業者が就職をあきらめたため

に生じたもの(いわゆる「悪い失業率の低下」)と考えられる。

② 就業者数と人口動態

一方,アベノミクス以降は労働参加率が上昇するなかで失業率が低下している。すなわち,純粋に

就業者が増加したため

に失業率が低下したのだ。

上記のグラフからは人口動態と失業率の関係性が薄いことも読み取れる。15歳以上人口はここ10年で減少しているものの,その幅はせいぜい30~40万人程度だ。一方,同じ期間に増加した就業者は約500万人となっている。このことからも,人口変動(少子高齢化)は失業率に対してわずかな影響しか与えていない。


このように,労働力減少説が正しいかどうかは

労働力人口が増えているのか減っているのか

を確認すれば誰でもわかる。労働力減少説を最初に否定したのは,これが最も基礎的な誤りだからだ。引用記事の中原氏は,アベノミクスによる失業率低下を「デタラメ」といい,少子高齢化を故意に無視した「矜持のない意見」と強い口調で述べているが,それを統計で確認しようとは考えなかったのだろうか。「経済識者」としては致命的である。

いずれにしても,アベノミクス以降,事実として労働力人口は増加した。しかし,少子高齢化が進んでいるにもかかわらず,なぜ労働力人口が急増したのだろうか。その理由については第3章以降で述べることとする。

  • ^1毎月の失業率変化を就業者数,労働参加率,15歳以上人口の3変数で全微分して積み上げている。なお,交絡項は含めていない。
  • ^2労働参加率が上昇していても,それが外国からの移民増加によるものであれば,非労働力人口が労働力人口への切り替えは起こっていない。もっとも,第3章で説明するよう,アベノミクスにおける労働参加率上昇は外国人労働者の増加が主な要因ではない。