第1部 - 1:労働市場と統計データ(総論)

Theme 3:非正規雇用問題の本質

7章 「多様な働き方」の問題

前章では,

アベノミクスで増加した非正規雇用の大半は自発的選択

ということを説明した。

しかし,これが望ましいことなのかどうかは別問題である。このことは第4章で説明した評価論争がそのまま当てはまる。すなわち,多様性尊重と格差是正の衝突にかかわる問題だ。


この章も第4章と同様,「バブル期並み」の違和感とはほとんど関係がない。そのため,アベノミクスの問題がどこにあるのかを探るというだけならば,このページは飛ばしてもかまわない。

1.自由な選択はよいことか

アベノミクスにおいて非正規雇用労働者が増加する一方,不本意非正規雇用労働者は減少している。

言い換えれば,自発的に非正規雇用を選択する労働者が増えているということになるが,前章で述べた通り,この現象は好況期においてよくみられる。しかし,果たしてこれは望ましい状況といえるのだろうか。

景気が良くなって,企業に守られることよりも自由な時間などを選ぶ人が増えたというだけじゃないか!これは労働者たちの自主的な選択の結果だ!望ましいことに決まっている!

第4章の言い方でいえば,上記は多様性を重視するタイプの意見である。確かに,当人が望んで選択しようとしているものを阻むというのは多様性に反する。正規雇用の職がなくて困っているというなら別だが,これまでのアンケート調査や統計データで示してきたよう,非正規雇用労働者の大半は生活が逼迫している状況にない。

しかし,上記の主張には問題がある。それは「景気が良くなって」という部分だ。たとえば,この傾向は1980年代後半(バブル期)においても同様であった。そのことは非自発的離職者の少なさからもうかがえる。

第6章で述べた通り,フリーターが「かっこいい」といわれていた時代である。この頃,「フリーター」という言葉を世に広めたリクルート社は同名の映画[1]まで制作し,

バイトも完全就職も超えたいま一番新しい究極の仕事人・フリーター

と盛んに宣伝を行った。しかし,当時フリーターを選択した人々の多くは,その後,悲惨な末路をたどったとされている。

多くの調査が明らかにしているように,フリーターからの脱出は難しい。日本の企業は中途退職者をあまり採用しないし,その上にフリーター経験者となると,ますます採用されることは難しい。とくに30歳代以上になると,脱出は不可能に近くなる。だからフリーターたちは,そのまま年を取って中高年となっていく

―― 橋本健二『アンダークラス』

当時のフリーターは現在50代である。橋本健二教授(早稲田大学)は,彼らの大半が正規雇用を経験することなく巨大なアンダークラス(下層階級)を形成していると指摘している。第6章でも述べた通り,好況が不況に変化すると,非正規雇用という選択も多様性から格差へと変化する。

正規雇用 非正規雇用
肯定的側面 平等な働き方 多様な働き方
否定的側面 画一的な働き方 不平等な働き方

極端な言い方をすれば,彼らがアンダークラスとなった大きな理由は,フリーターという就労形態を「自主的に」選択したからだ。しかし,大手企業が次々と事業を拡張し,雑誌でフリーターとしての生き方が煽られていた時代,その後のバブル崩壊や銀行破綻を誰が予想できただろうか。経営者や投資家など多くの大人たちが見通しを誤ったなか,当時の若年層が将来の長期不況まで予想することなどほとんど不可能である。その点を考慮すれば,

アンダークラスとなったのは彼らの自主的な選択の結果であり,自己責任だ

と結論付けるはあまりに乱暴と言わざる得ない。

逆の側面から見れば,バブル崩壊後の経済格差は自由な労働選択(多様性尊重)に原因の一端があったことになる。したがって,格差是正を重視するならば,

好況期にしか通用しないような働き方や企業経営を制限する

という選択肢もそれなりに説得力を持つことになる。

したがって,ここにも多様性格差是正の衝突がある。アンダークラスが形成された背景には「多様な働き方が選択できる環境」があった。その結果として,不安定な就労形態の選択も許容されることとなった。

一方,そうした選択に制限をかければ格差は広がらなかっただろう。しかし,それは行き過ぎると,職業選択の自由や働き方の多様性を損なうことになる。したがって,第4章でも述べた通り,多様性尊重と格差是正に関する議論は適切なバランスがとれているかという問題になる。

2.「多様な働き方」をめぐる政治動向

それでは,現在の日本において,多様性尊重と格差是正のバランスは適切といえるだろうか。まずは政府の方針について確認したい。

① 政府の方針

この問題に関していえば,政府は明確に多様性尊重の方へと舵を切っている。そのことは,安倍前首相の所信表明演説からもうかがえる。

一億総活躍社会の完成に向かって,多様な学び,多様な働き方,そして多様なライフスタイルに応じて安心できる社会保障制度。三つの改革に,安倍内閣は果敢に挑戦いたします。(中略)同一労働同一賃金によって正規,非正規の壁がなくなる中で,厚生年金の適用範囲を拡大し,老後の安心を確保します。

―― 衆議院本会議(第200回,第1号,2019年10月4日)

上記演説の同一労働・同一賃金は政府が推進する働き方改革のひとつだ(2015年以降,政府は一億総活躍を掲げ,「働き方改革」を政策の中核に据えている)。同一労働・同一賃金について,厚労省はHPで次のように述べている。

同一企業内における正規雇用労働者と非正規雇用労働者の間の不合理な待遇差の解消の取組を通じて,どのような雇用形態を選択しても納得が得られる処遇を受けられ,多様な働き方を自由に選択できるようにします

―― 厚生労働省HP(同一労働同一賃金特集ページ)

以上からわかる通り,政府の労働政策は「多様な働き方」という価値観が中核にある。

なお,こうした姿勢は安倍政権から始まったものではない。第3部で詳述するが,この方針は1995年に始まり,2000年代には自民党で主流の考え方となった。したがって,正社員を守るために多様な働き方を認めなかったという主張は正しくない。

自民党や財界は正社員という古い価値観を守るのに必死で,多様な働き方を認めてこなかった。グローバル化の時代では通用しない「日本的雇用」が温存された結果,日本経済だけが他の先進国に取り残されるようになっていった。

第3部で述べる通り,「多様な働き方」の導入に最も積極的だったのが財界であり,それにすぐさま対応したのが自民党であった。むしろ問題の本質は,彼らがあまりに多様性を重視したため,格差是正の問題が置いてきぼりにされてしまったことにある。

② 政府に対する批判

もっとも,「多様な働き方」という政府の方針に対しては批判がなかったわけではない。たとえば,以下は東京新聞の社説である。

「『非正規』という言葉をこの国から一掃します」

首相が何度も繰り返すこの言葉は,一体どういう意味なのか-。増え続ける非正規労働者を減らすというのであればいい。しかし,逆にもし正社員をこの国からなくし非正規という働き方が標準になれば,「非正規」という言葉はなくなる。そうならば恐ろしい。

―― 東京新聞(2016年9月9日朝刊)

この記事では,正規雇用を非正規雇用に寄せるという意味で「総非正規化」という言葉で表現している。

また,以下は長妻昭議員(立憲民主党,当時は民進党)が「多様な働き方」について首相に述べたものである。

ところが,やはり多様な働き方といったときに,これまで政府の姿勢は,規制を緩和する。総理もかつてダボス会議で,労働法制,労働市場について,既得権益だ,安倍総理のドリルからは逃れられないような御発言もされたことがあると思いますけれども,やはり多様な働き方といったとき,労働法制を緩くする,規制緩和になっていくわけで,何で労働法制というのは自由な取引をしないのかというと,これは当たり前ですけれども,人間の,生身の自分の時間を提供する,取引する。人間の時間というのは,時間の使い方というのは命の使い方でありますから,過度にその取引がなってしまうと健康や精神にも支障を来してしまうのではないか。

―― 衆議院予算委員会(第193回国会,第12号,2017年2月17日)

どちらの主張にも一定の説得力があるが,あまり踏み込んだ内容とはなっていない。その最大の理由は,この問題の本質が自民党や安倍政権にあるのではなく,多様性そのものにあるということを指摘できていないためだ。以降では多様性と正規雇用の概念について整理し,より一般的な多様性問題について説明する。

3.多様な働き方と正規雇用

第6章で述べた通り,正規雇用とは日本的雇用慣行(特に長期安定雇用)と整合的になるよう形成された仕組みである。

正規雇用 非正規雇用
雇用期間 長期雇用を想定
(企業拘束的)
短期雇用を想定
(自由・多様)

したがって,多様な働き方を認めるならば,必然的に

正規雇用という仕組みを解体する

という結論になる。すなわち,多様性尊重を掲げる限り,雇用形態は「総非正規化」の方向にしか進まない

たとえば,正規雇用のメリットとして挙げられることの多い福利厚生だが,これは「多様な働き方」によって削られることになるだろう。

なるほど,企業は両者の壁を取り払うと言いながら,コストカットのために正規雇用の福利厚生を減らし,正規い雇用を非正規雇用化するという話だな!

その可能性も大いにあるが,もっと根本的な構造問題が存在する。それは,

原則として正規・非正規で福利厚生に格差を設けることは違法

という事実の存在だ。前章でも述べた通り,正規雇用と非正規雇用は法律の上で完全に同格である。

そんなはずはない!俺の会社でも正規雇用だけに適用される福利厚生はたくさんあるぞ!

大半の人がこのように思うだろうが,それは上記の原則例外があるためだ。その例外とは,正規雇用が

  • 配置転換・転勤のある働き方
  • 年功賃金体系に基づく働き方
  • 長期勤続を前提とした働き方

などであり,かつ,

  • 福利厚生がそれを維持するための制度として機能している場合

である。以下はそのことが認められた判例だ。

  • 住宅手当(ハマキョウレックス事件,2016年7月26日大阪高裁)
  • 資格手当(メトロコマース事件,2017年3月23日東京地裁)
  • 外務業手当(日本郵便事件,2017年9月14日東京地裁)

たとえば,正規雇用にだけ住宅手当が支給されるのは,一見すると不条理な格差のように映る。しかし,

  • 正社員にだけ全国転勤があるような企業

であれば,話は変わってくるだろう。転勤可能性のある人にだけ住宅手当を支給するというのは何らおかしな話ではないからだ。現在,これが裁判所の基本的な判断基準となっている(逆にドラマ『ハケンの品格』であったような「社員食堂の値段に差をつける」などの合理性のない正規・非正規格差はすべて是正の対象となっている)。

実際,多くの企業では住宅手当が配置転換・転勤とセットで創設されてきた。パートタイム雇用や短期雇用に対して住宅手当が支給されないのも,彼らに転勤や配置転換が想定されていないからである。

すなわち,福利厚生(正規雇用独自の手当て)とは,正規雇用という拘束された単一の働き方(多様ではない働き方)が存在根拠となっているのだ。したがって,多様な働き方を実現すれば,それらが解体されるのは当然の帰結である。


東京新聞が指摘する通り,「多様な働き方」とは本質的に総非正規化のことである。しかし,その問題に野党が切り込むことはできないだろう。なぜなら,立憲民主党も社民党も多様性尊重を綱領に掲げ,それを前面に押し出しているからだ。

私たちは,一人ひとりがかけがえのない個人として尊重され,多様性を認めつつ互いに支え合い,すべての人に居場所がある「共に生きる社会」をつくります。

―― 立憲民主党綱領

労働は人々が生活を営み,自己実現していくために不可欠の要素であると同時に,社会の富の源泉です。人間をモノとして扱うような労働分野の規制緩和を許さず,同一価値労働・同一賃金といった均等待遇の保障の下で,多様な働き方を尊重し,働くことを望むすべての人々が完全雇用されることを社会の大きな目標とします。

―― 社会民主党宣言

こうした政党にできることは,せいぜい「安倍政権の進める多様性は真の多様性ではない」ということくらいだろう。なお,左派勢力から「格差を拡大した」と批判されることの多い竹中平蔵元経財相も,労働において多様性を重視している。

繰り返しますが,雇用で重要なのは多様性と柔軟性です。「誰もが正社員になりたがっている」「正社員だけが“正しい”働き方だ」という固定観念こそ,払拭すべきです。

―― 竹中平蔵『大変化 経済学が教える二〇二〇年の日本と世界』

したがって,立憲民主党も竹中氏も「多様な働き方」が望ましいと考えている点では共通している。

立憲民主党が言っているのは「多様性」であり「多様な働き方」ではない!多様性の問題と多様な働き方の問題を混同している!これは悪質な印象操作だ!

しかし,「多様な働き方」だけが例外となる多様性などあるはずがない。すでに述べた通り,これは多様性全般にかかわる問題なのだ。最後に,そのことについて簡単に説明する。

4.多様性問題のイントロダクション

ここまで書けば,次のように感じた人も多いのではないだろうか。

このサイトは多様性が問題だとか抜かしている!反多様性の考え方だ!危険思想だ!

今や与党も野党も多様性を絶対的な価値観として掲げており,それに疑いをはさむことはタブーといっていい。以下は安倍前首相の演説と立憲民主党の綱領である。

新しい時代の日本に求められるのは,多様性であります。みんなが横並び,画一的な社会システムの在り方を,根本から見直していく必要があります。

―― 衆議院本会議(第200回,第1号,2019年10月4日)

私たちは,多様な主体による自治を尊び,互いに連携し合う活力ある社会を実現します。地域の責任と創意工夫による自律を可能とする真の地方自治を目指します。

―― 立憲民主党綱領

前述の長妻議員のように「多様な働き方」に関して懸念を示す者はいるが,多様性全般にまで踏み込んだ批判は日本でほとんど行われない[2]。実際,政治家が多様性の制限に言及したとなれば,叩かれるどころでは済まないだろう。この点は格差是正と大きく異なる[3]

① リーマンショック後の世界

もっとも,こうした傾向は日本に限った話ではない。しばらく前までは世界的な潮流でもあった。しかし,2008年のリーマンショックによって

  • ①貧困や格差といった問題の深刻化
  • ②グローバル化に対する批判

という動きが広まると,それまで金科玉条とされてきた多様性に対しても疑いの眼が向けられるようになる。この流れはさらに加速し,2016年頃には,①低所得者層から強い支持を受ける形で,②反グローバル化(保護主義)を掲げる勢力が台頭するようになった。

イギリスのEU離脱やトランプ大統領の当選について,一部では

世界が右傾化しつつある

と述べる者もいるが,変化の本質は

  • 自由主義(多様性)に対する見直し
  • 保護主義(格差是正)に対する再評価

にある。実際,トランプ大統領は保護貿易を訴えていたが,それは得票数を伸ばした左派候補のサンダース上院議員も同じである。一方,右派強硬派のクルーズ上院議員は保護主義と対局のティーパーティー運動に属する政治家であり,右派だからというって保護主義を掲げているというわけではない。

ティーパーティー運動
アメリカにおいて「大きな政府」に反対する運動。自由貿易や減税などに賛成し,最低賃金引上げや銃規制などに反対する傾向がある。

この構図はフランス大統領選挙で同じである。たとえば,ルペン候補の場合,外交政策は対外強硬的という点でフィヨン候補に近いが,経済政策は公務員増員などを訴えており,メランション候補に近い(一方,フィヨン候補は公務員削減を主要政策として掲げていた)。

これらの選挙では,サンダース上院議員やメランション党首などの保護主義的な左派候補,また,反緊縮左派政党であるポデモス(スペイン)などが高い支持を集めている。すなわち,右派が支持されたのではなく保護主義が支持されたのである。

② 多様性再考の時代

こうした社会変化のなか,欧米の左派勢力を中心に,

これまで(特に左派は)多様性尊重ばかりにとらわれ,格差是正の重要性を見過ごしてきたのではないか

といった議論がなされるようになった。

たとえば,アメリカの左派論客として有名なマーク・リラ教授(コロンビア大学)は次のように述べている。

アイデンティティ・リベラリズムの歴史は,リベラル衰退の物語であると私は言い続けてきた。これは,全体から個人へと向かう動きだった。(中略)こういう姿勢だと,どうしても通常の民主政治を軽蔑し,拒否するようになってしまう。通常の民主政治では,自分と似ていない人たちと関わり,彼らを説得する,という作業がどうしても必要になるからだ。アイデンティティ・リベラリズムに走る人々は,それを避けて,一段高いところから無知な人たちに向かって説教をすることを好むのだ。

―― マーク・リラ『リベラル再生宣言』

リラ教授の指摘するアイデンティティ・リベラリズムとは,まさしく立憲民主党の綱領に書かれていたような「多様性」のことだ。多様性を無制限に拡大すると,「どういう国にすべきか」という国家観が希薄になっていく(全体から個人へと向かう動き)。リーマンショック以前における格差拡大グローバル化の同時進行はこの流れの中に位置づけることができる。

以上より,多様性再考に関する議論は右派・左派とわず再燃している。しかし,この問題は経済,社会,政治,人間観や国家観ににまでまたがる広いテーマであるため,ここでは議論が盛んになっていることを紹介するにとどめ,詳しくはPart 2各論,および第3部,第4部において取り上げることとしたい。

  • ^11987年公開。リクルートのアルバイト情報誌「フロム・エー」の創刊5周年を記念してつくられた。