第2部 - 1:企業行動とデフレ経済(デフレ経済)

Theme 2:デフレ経済の理論

5章 誤解の多い「資本主義」

前章では,日本経済の問題がデフレ経済(需要不足)にあることを示した。しかし,より深刻なのは,

デフレ経済がいかに異常なことなのか,ほとんど認識されていない

ということにある。そこで,第6章では,

デフレ経済とは資本主義ではない

ということについて説明する。

少し論理的に考えてみたいんですが,戦後,なぜ経済学者たちがデフレだけは絶対起こしちゃいけないと言ったかというと,デフレと言うのは,資本主義の停止状態だからなんです。デフレの本当の恐ろしさは,ここにあるんですね。

―― 中野剛志・柴山桂太『グローバル恐慌の真相』
  • ※ 資本主義の定義は学者によって異なるため,より厳密にいえば「デフレ経済は通常の資本主義がまともに機能していない状態」というのが正しい。

1.資本主義と市場経済

いやいや,何言っちゃってんの?確かにデフレは問題かもしれないけどさ,「資本主義じゃない」は言い過ぎでしょ。事実,デフレでも自由な経済活動は行われてるし,企業も常に競争してるじゃない。

もしこのように考えたならば,それはデフレ経済に対する勘違いというより,資本主義について誤解している。そもそも,資本主義とは「自由な取引を行う経済」のことではない。それは資本主義ではなく市場経済の定義である。

  • 資本主義:資本や労働力を投入して生産を行う経済
  • 市場経済:市場を通じて自由に取引する経済

両者を混同する原因は日本の学校教育にあると考えられる。たとえば,以下は高校社会(政治経済)の教科書の記述だ。

封建時代の経済が領主と農民の貢納関係に基礎を置くものだったのに対し,資本主義経済は市場での自由な取引によって特徴づけられる。資本主義を否定することによって生まれた社会主義経済は,計画経済ともよばれるように,経済活動を国家による統制の下におき,資源の配分,財・サービスの生産,所得の分配を国家の計画によって行う。

―― 高等学校 現代政治・経済(清水書院)

このような表現になっているのは,米ソ冷戦など

資本主義 vs 共産主義

という構図での説明を念頭に置いているためだろう。しかし,この教科書では,そのすぐ下に以下のような記述がある。

資本主義経済は,18世紀後半にイギリスで起こった産業革命を契機に成立した。

―― 高等学校 現代政治・経済(清水書院)

仮に資本主義が「自由な経済活動」のことならば,ヨーロッパは古代ギリシアの時代から資本主義のはずである。また,『日本書紀』によれば,日本でも飛鳥時代から貨幣が流通し,海石榴市などの市場が存在していたことが確認できる。しかし,これらを「資本主義」と呼ぶ者はいないはずだ。


中学・高校の段階では,社会主義との対比をわかりやすくするため,資本主義を市場経済と区別しないケースが多い[1]。しかし,それは厳密にいえば間違いだ。両者を区別しなければデフレ経済の問題はわからない。これから述べるよう,デフレ経済とは市場経済であるが,資本主義ではない状態のことを指す

2.資本主義の定義

資本主義とは,

  • 資本主義:資本や労働力を投入して生産を行う経済

のことであり,産業革命期に発達した仕組みだ。第4章の用語でいえば,

  • 資本:モノ,カネ
  • 労働:ヒト

のことである。したがって,資本主義とは「ヒト,モノ,カネ(生産要素)を企業という場に集めて生産活動を行う経済」と言い換えることができる。

一方,上記の図をそっくりそのままひっくり返すと,前章で説明したデフレ経済(生産要素の掃き出し)の図になる。

したがって,デフレ経済とは,

  • デフレ経済:生産を縮小し,資本や労働力を吐き出す経済

のことである。この定義が前述の資本主義の定義と真逆になっていることからもわかる通り,デフレ経済とは資本主義が逆流している状態のことを指す

デフレも困るけど,かといって,インフレも困るよね。デフレを脱却して,とにかくインフレにすればいいってのは違うと思うよ。何事もバランスが大事。

このように,一部では「インフレとデフレが逆で,どちらでもない状態が一番いい」といった主張もあるが,バランスという点でインフレ・デフレは逆ではない。インフレが問題かどうかは程度の話だが,デフレはなった時点で異常事態である。

アベノミクスの「好循環」

デフレ経済の需要減少はヒトへの需要減少を通じて消費の縮小を引き起こす。それがさらに需要不足を招き,デフレスパイラルになると説明した。

これが資本主義の逆流状態ならば,この流れを逆回転させなければならない。

これは,首相官邸HPに掲載されていたアベノミクスの「経済の好循環」の図とまったく同じといっていい。

このことからもわかる通り,アベノミクスとは何ら特殊な経済政策ではない(第3部で詳述)。単に,

日本を通常の資本主義経済に戻す(デフレ脱却)

というだけのもので,教科書通りの経済政策である(ただし,それらは十分に実行されなかった)。なお,第3部と第4部では,その「普通の政策」が20年にわたって実行されてこなかった異常な日本の社会について説明している。

3.「普通の経済」を考える

日本で長くデフレ経済が続いたこともあり,「普通の経済」が何なのかわからなくなっている人が多いように思われる。資本主義の定義に対する誤解はそのひとつと言えるだろう。そこで,通常の資本主義がどのようなものなのか,

  • 物価
  • 金融
  • 経済成長

の3点から確認する。なお,これらは資本主義の定義からから当たり前に導出される帰結である。

① 物価

デフレ経済は資本主義ではないと述べた。言い換えれば,資本主義とは常にインフレ経済である。したがって,先に掲載したツイート例は資本主義の考え方として根本的に間違っている。

デフレも困るけど,かといって,インフレも困るよね。デフレを脱却して,とにかくインフレにすればいいってのは違うと思うよ。何事もバランスが大事。

なお,第6章で詳述するが,インフレとデフレの間(インフレ率0%)も資本主義とは言いがたい。なぜなら,インフレ率0%とは好循環でも逆流でもない,循環に目詰まりを起こした経済のことだからだ。したがって,資本主義がまともに機能するためにはある程度のインフレ率が必要になる。

じゃあ具体的に何%くらいならいいんだ!

これについては様々な議論があるが,2%程度という意見が最も多い。たとえば,FRB(米連邦準備制度理事会,アメリカの中央銀行に相当)はインフレ目標を2%に設定している。以下は「なぜFRBは2%のインフレ率を目指すのか」という質問に対する回答である。

長期的に見れば,高インフレは長期経済や金融に関する意思決定を困難にする。しかしながら,低インフレはデフレ(平均的に物価や賃金下落する状態,つまり,非常に経済状態が脆弱な状態)に陥る可能性を高くする。 少なくとも多少のインフレを維持しておけば,経済状況が悪化した場合,有害なデフレに突入する可能性は低くなる。FOMC(連邦公開市場委員会)は中期的に2%のインフレ率を維持する金融政策を実施している。

―― 米連邦準備制度理事会HP

また,ECB(欧州中央銀行)のHPにも「2%以下,かつ,2%に近いインフレ目標を設定する理由」として,同様のことが記載されている。

また,この目的はECBの責務に関する以下の点を強調している。

デフレリスク軽減のために十分な余裕を提供すること。金利の引き下げ幅には限界があることから,デフレに対して安全のための余裕を設けることは重要になる。デフレ環境では,金利操作による金融政策で十分に総需要を刺激できなくなる。このことは,金融政策がインフレ退治よりもデフレ退治の方を難しくしてしまう。

―― 欧州中央銀行HP

先進国の中央銀行は,高インフレが問題であるとしているものの,デフレはそれだけで問題だという認識に立っている。このことからも,デフレ不況を放置した日本の中央銀行(日本銀行)は世界最低レベルの金融政策能力だったということがわかる。

② 金融

デフレ経済では債務の返済(カネの逆流)が進むことを明らかにした。言い換えれば,資本主義経済とは「借金することが当たり前」の経済である。「資本」主義はその名の通り,金融が決定的に重要な意味を持つ。実際,資本主義の歴史とは金融の歴史でもあった。

資本や借入という形で「カネ」を調達するのが資本主義ならば,通常,企業は「金を借りる側」にしかならない。この観点に立てば,日本の財政問題もデフレ経済が原因だとわかる。以下は経済主体間の資金過不足である。

この図はよく政府の債務拡大が問題であることを示すものとして使われる。しかし,資本主義と金融の関係を理解していれば,この図で最も問題なのは政府ではなく企業だとわかるはずだ。なぜなら,政府の借入超は程度の問題だが,企業の貸付超はそれだけで異常事態だからだ。

誰かの借入(借金)は誰かの貸付と同額であるため,上記の図において借入と貸付の合計はゼロになる[2]。家計が恒常的に借入超になることはあり得ないため,政府の借入超(政府債務)を減らすには,企業の貸付超を解消する以外に方法はない。すなわち,デフレ経済から脱却する以外に財政問題を解決する手段はないのである。これについては第3部で再度説明する。

③ 経済成長

デフレ経済が逆流状態なのは生産を縮小しているからである。言い換えれば,資本主義経済とは常に生産を拡大し続ける経済である[3]

したがって,低成長やデフレが日本の宿命だというのは誤りといっていい。

先進国になれば需要は減少する。成熟経済で必要なことは成長でもデフレ脱却でもなく,身の丈に合わせた慎ましくも平和な暮らしの追求ではないのかな。

こうした認識は非常に多いが,成長していない経済とは資本主義の異常事態である。事実,日本のように名目GDPが横ばいで推移している先進国などどこにもない。

日本の低成長が経済の成熟によるものだという根拠は何もない。単に需要不足を放置してきた結果と考えるのが妥当だろう。


以上より,「普通の経済」には,

  • 物価が上昇傾向で推移する
  • 企業債務が増加傾向で推移する
  • 生産が拡大傾向で推移する

という特徴がみられることが多い。

もちろん,技術革新による生産能力増強など,いくつかの条件がそろえば「物価は下がるが生産は拡大する」という状況もあり得るだろう。しかし,別ページで述べるが,これはきわめてレアケースであり,「普通の経済」とは言い難い。

4.脱成長論の検証

最後に脱成長論について簡単に説明する。

これまで「需要不足(広義のデフレ)が問題だ」と述べてきたのは,それが生産の縮小につながるからであった。言い換えれば,「インフレ経済が望ましい」と述べているのは,需要の拡大が生産の拡大(経済成長)につながるからである。物価の上昇はその副産物にすぎない。

しかし,以上の結論からは次のような考え方を導くこともできる。

なら経済成長を目指さなければいいんじゃないの?そしたらインフレ率も0%でいいってことだよね?

実際,ゼロ成長物価不変の経済を理想とする人たちは少なくない。こうした考え方は脱成長と呼ばれており,環境保護運動などと合わさって,一定の支持を集めている。

脱成長
全国企業短期経済観測調査。約1万社に実績や予測をヒアリングし,それを集計したもの。3カ月に1度公表される。

なお,脱成長の考え方は次の2つに大別される。

  • 資本主義否定論:資本主義を放棄し,ゼロ成長を受け入れる
  • 経済成熟説:資本主義を維持し,ゼロ成長を受け入れる

結論からいえば,当サイトはいずれの脱成長論も支持していない。以降ではそれぞれの問題点について簡単に説明する。

① 資本主義否定論

脱成長を主張する学者の大半は資本主義否定論を採用している。その理由は,当サイトが述べている通り,

成長と資本主義が不可分の関係にある

からだ。たとえば,脱成長論者である斎藤幸平准教授(大阪市立大学)は次のように述べている。

ここで,旧来の脱成長派(注:資本主義維持論)は,こう言うだろう。資本主義の矛盾の外部化や転嫁はやめよう。資源の収奪もなくそう。企業利益の優先はやめて,労働者や消費者の降伏に重きを置こう。市場規模も,持続可能な水準まで縮小しよう。

これはたしかにお手軽な「脱成長資本主義」に違いない。だが,ここでの問題は,利潤追及も市場拡大も,外部化も転化も,労働者と自然からの収奪も,資本主義の本質だということだ。それを全部やめて,減速しろ,と言うことは,事実上,資本主義をやめろ,と言っているのに等しい

―― 斎藤幸平『人新世の「資本論」』

脱成長を目指して個別の問題に対処していけば,最終的に形成される経済システムは資本主義と似ても似つかないものになるだろう。このロジックは当サイトの主張とも整合的だ。

問題点:社会制度変革

資本主義否定論は脱成長から導かれる論理的帰結であり,その理論に欠陥があるわけではない。しかし,理論を現実に適用しようとする段階ではいくつかの問題がある。つまり,資本主義否定論の問題は

脱成長を実現するには,大規模な社会制度の変革が必要

ということにある。資本主義システムのようにあらゆる仕組みの基盤となるような制度を転換するならば,そこに摩擦が生じることは避けられないだろう。

実際,制度改変のコストは世間で認識されているよりはるかに大きいと想定される。言い換えれば,当サイトが脱成長に賛同しないのは,制度改変よりも経済成長を実現する方が容易と考えているからだ。このことは第3部 Part 3で詳述する。

② 経済成熟説

一方,世間で主流と考えられる脱成長論は経済成熟説の方である。経済成熟説は資本主義の否定など大規模な社会変革を想定しない。前述のツイートなどは,まさにその典型と言えるだろう。

先進国になれば需要は減少する。成熟経済で必要なことは成長でもデフレ脱却でもなく,身の丈に合わせた慎ましくも平和な暮らしの追求ではないのかな。

こうした考え方を持つ人たちは

  • 成長経済(新興国)から,成熟経済(先進国)に変わる
  • 物質的満足の社会から,精神的満足の社会に変わる
  • 成長至上主義の時代から,多様な価値観の時代に変わる

といった素朴な変化を予想しているのだと思われる。なお,彼らは資本主義の維持を前提としているものの,そのことが明示的に言及されることはほとんどない。これも,おそらく,

経済成長を重視しなければ,自然とこういう社会になるんじゃないの?

といった認識が前提にあるのだと考えられる。

問題点:競争社会

これまで述べてきた通り,経済成長と資本主義は不可分であるため,経済成熟説は多くの学者から批判を浴びている(前述の斎藤准教授も「お手軽な『脱成長資本主義』」と呼んでいる)。したがって,資本主義否定論と異なり,経済成熟説はほとんど誤謬といっていい。

実際,ゼロ成長になったところで,経済成熟説が理想とするような社会は訪れない。むしろそれとは真逆の社会へ近づくことになる。その最大の理由は

「成長」をやめても「競争」は残る

ということにある。経済成熟説を訴える人は成長競争を混同している可能性が高い。

確かに,経済において「成長のためにはある程度の競争を組み込んだ方が望ましい」という結論になることは少なくない。しかし,成長を止めたからといって,競争が止まるという話にはならない。

「切磋琢磨」という言葉が示すよう,競争が望ましいとされる理由はそれが成長につながると考えられるからである。逆にいえば,「成長なき競争」にメリットはほとんどない。ゼロ成長でも競争がなくなるわけではないとすれば,資本主義を維持した脱成長によって実現される社会とは富の争奪戦(ゼロサムゲーム)である。

③ 節倹経済のイントロダクション

バブル崩壊以降の日本は「成長なき競争」の状態にある。その最大要因が,これまで説明してきた

  • 家計の節約
  • 企業のコスト削減

である。上記はいずれも所得・収益を増やす(成長)というものではなく,それらが増えないという前提で利益を捻出しようとする行為(競争)である。

節約が競争だなんておかしいでしょ!現実には節約をしなければ生活できない人だってたくさんいる!

むしろ,これがもっとも重要なポイントといえる。低所得者の「節約」は生活のために行っているものであり,消費のウェイトが小さいわけではない(したがって,このサイトでいうところの「節約」には該当しない)。一方,高所得者ほど「節約」は消費ウェイトの低下に直結しており,「利益捻出」としての性格が強くなる。

言い換えれば,「利益捻出」は高所得者の方が圧倒的に有利になる(低所得者は今以上の節約が難しい)。したがって,ゼロ成長の資本主義(成長なき競争)は相対的に高所得者が有利となり,そのしわ寄せは低所得者へと向かう。また,企業のコスト削減に関しても,そのしわ寄せは価格交渉力の弱い下請企業などへ集中する。

基本的に脱成長論を唱えるのは,自分の収入が少し下がっても問題ない富裕層です。一方で国がゼロ成長になって真っ先に職を失うのは貧困層。(中略)表面的には聞こえの良いイデオロギーを実践すると一番割りを食うのが貧困層だとわかったのが,ソ連の社会実験だったのだと思っています。

―― Forbes(2018年2月6日,安田洋祐准教授(大阪大学)へのインタビュー)

経済成長が放棄され,競争の主眼が節約・コスト削減へと向かう経済のことを,当サイトは節倹経済と呼んでいる。これまで述べた通り,節倹経済では経済的弱者ほど不利になりやすい。

上記のような循環構造が構築されれば,実質経済成長率とインフレ率はともにゼロ近傍になることが想定される。節倹経済は狭義のデフレには該当しないものの,「成長なき競争」などデフレ不況の特徴を継承しているため,当サイトではデフレ経済のひとつとして扱っている。

インフレ率 経済状態 特徴
5%超 過熱経済 消費や投資が過熱気味
2%程度 通常の資本主義 巡航速度の資本主義経済
0~1%程度 デフレ
経済
節倹経済 弱い需要,循環に目詰まり
マイナス デフレ不況 狭義のデフレ,生産縮小
  • ※ 当然ながら,インフレ率が0%だからといって,経済成長率が0%になるとは限らない。しかし,成長と物価の両方が需要の変動によって決まると仮定した場合に限り,インフレ率0%付近(価格調整なし)のときは数量調整もまた生じないと考えられるため,経済成長率は名目・実質ともに0%付近になる。この仮定の妥当性については第3部で詳しく説明する。

第7章ではこの#節倹経済について説明し,現在の日本で指摘されている問題の多くが節倹経済に由来していることを明らかにする。

  • ^1社会主義は資本主義の問題を解決する目的で誕生したため,資本主義と対比される。なお,社会主義はその性質上,市場経済が大幅に制限されることになる。このような体制は「計画経済」と呼ばれる。したがって,市場経済と対比されるのは計画経済である。
  • ^2厳密には「海外」を除いているためゼロにはならない(日本は海外に対して貸付超であるため,小幅にプラスになる)。なお,全世界の経済主体を合計すれば,貸付と借入は完全に同額になる。