Theme 1:マクロ経済政策の理論
第2章 「基礎的な」経済学の理論
第2章では,第1章で示した対策が「基礎的な」マクロ経済学の教科書でどう記述されているのか説明する。ただし,「基礎的な」マクロ経済学に基づく説明には以下のような批判がついて回る。
そんな学部レベルの経済学で政策を語っているのか!バカバカしくて見ていられない!
実のところ,マクロ経済学の場合,この手の批判は単なる知識のひけらかしにとどまらない。なぜなら,
「基礎的な」マクロ経済学には現実離れした前提がいくつか含まれる
という問題があるからだ。
通常,理論体系は前提と論理によって構成される。したがって,論理的には間違っていなくても,土台となる前提に問題があれば,おかしな結論が導かれることになる。
マクロ経済の場合,この前提に関する論争が非常に多い。特に,設定されている種々の仮定が,
- どの程度現実の近似になっているのか
- どの程度現実離れしているのか
といった解釈は学者によって大きく議論が分かれている(これが学派にあたる)。第1章で「問題の原因をデフレ経済と仮定する」と強調したのも,
デフレは問題ではない
という前提に立つ学派が存在するからだ(新古典派経済学など)。こうした学派の違いについてはPart 2で扱うこととする。
結論からいえば,基礎的なマクロ経済学の場合,かなり簡略化された前提が置かれており,それらは十分に現実の経済を表しているとは言い難い。しかし,そのことを細かく検証すると,今度は経済学に詳しくない人にとって難解な内容になってしまい,対策立案の趣旨からそれてしまう。そこで当サイトでは,
- 第2章:「基礎的な」マクロ経済学による解決策を示す
- 第3章:それに対してどういった批判があるのかということを説明する
という形で話を進める。それゆえ,第2章に書かれている内容はある種の「思考実験」のようなものだと割り切って読んでほしい。
- ※ なお,簡略化された前提が用いられていること自体は論理体系を批判する根拠にならない。このことは第9章以降で説明する。
1.国民経済計算
マクロ経済学の教科書において,総需要と総供給は次の数式で表される。
- Y:総供給(GDP)
- C:消費
- I:投資
- G:政府支出
- NX:純輸出(輸出と輸入の差額)
うわ,数式が出てきた,こりゃダメだ
数式が出てきた途端に諦めてしまう人もいるかもしれないが,上式はGDPの需要面を以下の形で4分割したものにすぎない。これは第1章で示した図とほとんど同じである。
なお,NX(純輸出)という概念がややわかりにくいため,輸出と輸入に分解する。そうすると,式と表は以下のように変形できる。
- MX:輸入
- EX:輸出
上式が示していることは,
国内外において生産されたものは,国内外において何らかの形で使われる
という,至極当たり前の事実である(三面等価の原則[1])。ただし,後述するよう,この「当たり前」の関係を見落とした議論は非常に多い。
生産したけど余った商品とかはどうするの?何にも使われてないよね?
売れ残りは在庫投資という形でI(投資)のなかに組み込まれる[2]。ただし,そのウェイトは非常に小さい。
企業設備投資 | 92兆円 |
住宅投資 | 21兆円 |
在庫投資 | 2兆円 |
民間投資 | 116兆円 |
- ※ 2019年のGDP統計。公的投資は含めていない。
① 需要の要素:項目
マクロ経済における需要項目は消費と投資の2つに分けられる。
- 民間消費(C):現在のための民間需要
- 民間投資(I):将来のための民間需要
- 公的消費+公的投資(G):公的需要
注意すべきは「投資」という言葉の使い方だ。マクロ経済学において「投資」とは工場建設,機械設備の購入,オフィス用品の購入など「消費以外のすべて」を指す用語であって,株式投資や外貨投資など世間一般で言われる「投資」のことではない[3]。したがって,以下のような批判は誤りである。
アベはデフレ脱却を口実に投資需要の拡大を進めている。株やFXをやってるような富裕層だけを優遇し,投資をしていない庶民を見捨てる政策だ。
当然ながら,安倍前首相が所信表明演説などで述べていた「投資拡大」とはマクロ経済の投資のことである。
なお,GDP統計によれば,現実の消費需要と投資需要の規模は以下のようになっている。
次に,民間需要と公的需要の項目について簡単に説明する。
A:民間需要
民間消費(C)と民間投資(I)はほとんど家計と企業に対応していることがわかる。
- 家計消費:食費,娯楽費など
- 企業投資:ビル建設,機械設備購入,顧問弁護士契約など
なお,家計の投資(I)とは,
- 住宅購入
- 個人商店などの企業設備
のことである。
B:公的需要
政府支出(G)は以下の2つに分けられる。
- 政府消費:公務員給与,環境保全,医療費負担など
- 政府投資:インフラ建設,学校建設,災害対策など
政府消費とは「費用」のことだが,このなかには医療費負担(国民負担3割以外の部分)などが含まれている。医療費負担は実質的に家計への所得移転となるため,民間消費に含めて計算される場合もある[4]。
以上の内容は学派や解釈,経済学のレベル等にかかわらず成立する。いずれも,上で述べた(「当たり前」の関係である)三面等価の法則から導かれる帰結だ。
② 需要の要素:経済主体
マクロ経済学において,支出の主体は民間,公的,海外の3つに分けられている。これらを分割して考える理由のひとつは,
どの程度コントロールできるのか
という度合いが大きく異なるためだ。
コントロール | |
---|---|
民間需要 | △:間接コントロール |
公的需要 | 〇:直接コントロール |
海外需要 | ×:ほぼコントロール不可 |
民間の消費(C)・投資(I)は間接的にしかコントロールできないが,政府の消費・投資(G)は直接的にコントロールできる。民間に消費や投資の拡大を政府が強制することはできないが,政府の支出は(理論上は)政府がコントロール権を持っており,自由に調整することができる。
一方,海外(NX)についてはほとんどコントロールすることができない。その理由としては,
- 為替変動
- 政治的理由
の2つが挙げられる。
第1に,為替変動がある場合,需要をコントロールすることは難しくなる。たとえば,輸出増によって需要拡大を図ろうとしても,経常黒字が増加すれば通貨高に傾くため,輸出にブレーキがかかる一方,輸入は増加しやすくなる。これがマクロ経済学の教科書に書いてある一般的な理由だ。
第2に,輸出拡大戦略は政治的な軋轢を招くという問題がある。現実には為替変動よりもこうした政治的理由の方が大きな影響を与えている。純輸出(NX)を増やすのは海外の需要を奪うということに他ならない。世界的なデフレ不況の場合,各国がこうした行動をとること(需要の奪い合い)は国際的緊張の原因になる(近隣窮乏化策)。
内容 | ポイント | |
---|---|---|
経済的理由 | 為替変動 | 教科書的な理由 |
政治的理由 | 近隣窮乏化策 | 現実で重視される |
純輸出(NX)が総需要に占める比率は非常に小さい。国際的な衝突のリスクを覚悟して純輸出を増やすよりも,需要の大部分を占める国内の消費(C)・投資(I)を拡大する方がはるかに容易で効率的だ。したがって,以降ではデフレ対策を内需拡張策に絞って話を進めていく。
2.直観とずれる経済政策
これまでの「基礎的な」経済学における議論をまとめると,国内需要の拡張には,
- C(消費)を増やす(減税など)
- I(投資)を増やす(金融緩和など)
- G(政府支出)を増やす(公共事業など)
が必要になる。これは第1章で示した解決策と全く同じだ。
以上より,第1章で示した解決策は「基礎的な」経済学によっても正当化できる。
- デフレ対策の立案
- 第1章で示した解決策の概要(第1章 - 2)
政府支出への違和感
しかし,これによって第1章で述べた「政策への違和感」が解消するわけではない。このうち,最も直感とずれる政府支出(G)について説明する。
デフレ経済(需要不足)であれば政府支出(G)の拡張が解決策になる。一方,インフレ加熱(需要超過)であれば政府支出(G)の削減が解決策になる。したがって,適切な政府支出は民間支出と真逆になる。
デフレ経済 | インフレ過熱 | |
---|---|---|
原因 | 民間支出減少 | 民間支出増加 |
対策 | 政府支出拡大 | 政府支出削減 |
- ※ 政府支出の拡大は「民間支出の減少分を政府支出の増加分で穴埋めする」というわけではなく,「政府支出を呼び水に民間支出を拡大させる」ということを目的としている。このことは第3部で説明する。
上記の表が意味していることは,
- 民間に力があるときは民間にやらせる
- 民間に力がないときは国が助ける
ということにすぎない。民間が弱っているときに何もしないというのであれば,それはもはや国ではないだろう。
- 解決策に対する違和感
- 民間の力でデフレ経済は解決できない(第1章 - 3)
このように,手順を踏んで説明されれば納得する人も多いはずだ。しかし,マクロ経済学を理解していなければ,直感とマッチするのはむしろ以下のような意見といえる。
民間が苦しいにも関わらず,政府は無駄な公共事業を連発。身を切る覚悟の政治家はゼロ。こんなことしてたら,日本の景気は一向に良くならない。
家計や企業といったミクロの視点の方がなじみ深いため,政府にも同様の行動をとるよう迫る人たちは多い。しかし,マクロの視点で見た場合,政府が民間と同様の行動(節約)をとることは,デフレスパイラルを加速させることにしかならない。
すなわち,上記の主張は典型的な全体-個別の誤謬である(ミクロの視点とマクロの視点の混同)。したがって,直感(普段の生活感覚)に基づいた経済政策を行えば,デフレ経済下においてさらなる景気停滞が引き起こされることになる。
民給料が少ないときに支出を増やすなんて,常識ある庶民なら絶対におかしいと気づくはず。庶民感覚をもった政治家が経済政策を行わないことが問題。
上記のような主張(ミクロとマクロの混同)は,バブル崩壊後に幾度となく叫ばれてきた。しかし,庶民感覚で国家予算を扱うことこそ最悪の経済政策である。なお,バブル崩壊後の日本の歴史は,
- 適切なデフレ対策を実行した政権 → 直感とずれるので叩かれる
- 直観に合った政策を実行した政権 → 景気のさらなる悪化を招く
という悲惨なものであった。この流れについては第6~7章で詳しく説明する。
3.IS-LM分析のイントロダクション
最後にIS-LM分析について説明する。IS-LM分析は「基礎的な」マクロ経済学の教科書に必ず掲載されているが,非常に批判・論争の多い部分でもある。そのため,以降はおまけの章だと割り切って話半分にとらえてほしい。
IS-LM分析は政策効果を説明するツールとして用いられる。
- IS-LM分析
- 財市場の均衡条件であるIS曲線と貨幣市場の均衡条件であるLM曲線によって需要曲線を導出するモデル。
IS-LM分析の詳細は別ページで述べることとし,ここでは簡単なポイントだけ説明する。
① 分析の前提
まず,IS-LM分析は
- 需要サイド
- 数量調整
の2点に限定した部分均衡モデルとして位置づけられており,マクロ経済現象のすべてを表すモデルではない。
したがって,以下のような批判は的を外している。まず,「需要サイド」ということを理解していない例である。
IS-LM分析はデタラメ。単に財政政策を拡大すればGDPが伸びるとしているが,ならずっと財政政策を拡大すればずっと経済成長し続けることになる。
IS-LM分析は需要サイドのモデルであるため,財政支出拡大で増えるのは需要サイドのGDPでしかない。当然ながら,政府が公共事業を延々と受注し続ければ,その需要は無尽蔵に増加する。しかし,供給サイドのGDPが増えるわけではないので,供給が政府の需要に間に合わなければ,最終的には価格上昇(インフレ)という形で調整されることになる。
- ※ ツイート例の「経済成長」という点に関していえば,インフレ率を加味した名目経済成長率は財政拡張で無限に引き上げることができる。しかし,供給サイドが不変ならば,実質経済成長率は一切増加しない。
次に「数量調整」ということを理解していない例である。
財政政策で生産量はわずかに増えるかもしれないが,実際はほとんど物価上昇しかもたらさない。つまり,すべて数量調整で説明するIS-LM分析は間違い。
IS-LM分析は数量調整のモデルであるため,物価上昇が反映されるのはその範囲外といえる。たとえば,財政支出の影響が
- 1%:生産増
- 99%:物価上昇
という形で表れるような極端な場合であっても,1%の部分(生産増)にはIS-LM分析が適用される。
確かに,このケースであれば,残りの99%(物価上昇)にはAD-AS分析が適用されるため,IS-LM分析の役割は非常に小さい。しかし,それは単に「適用される割合がどの程度か」という話であって,IS-LM分析が間違っていることを示すものではない。
② 前提と学派
前述の通り,IS-LM分析は数量調整のモデルであるため,この段階においては価格調整が反映されていない。そのため,数量調整がほとんど生じない経済(価格調整が強く反映される経済)だからといって,
- IS-LM分析は間違い
という結論にはならない。これは既に述べた通りである。ただし,
- IS-LM分析に批判的
という結論にはなることはあり得る。
数量調整がほとんど生じないならば,IS-LM分析の役割は非常に小さくなる。それゆえ,
IS-LM分析を持ち出したところで何も説明できないでしょ?ほとんど役に立たないんだから。こんなもので説明する学者は的外れ。
という解釈は成立する。
したがって,
- 新古典派経済学:政策効果のすべてが価格調整として反映される(数量調整なし)
- 新自由主義経済学:政策効果の大半が価格調整として反映される(数量調整少ない)
といった学派はIS-LM分析に批判的である。
- ロジックエラーの検証
- 前提が異なればIS-LM分析は役に立たない(第3章 - 4)
もっとも,数量調整が生じないと仮定するならば,同様の理由でデフレ不況も起こらない(デフレは起こるが不況は起こらない)。そのため,上記の学派はデフレ対策という考え方にも否定的だ。
なお,Part 1では「問題の原因をデフレ経済と仮定する」として話を進めているため,上記の学派と前提を共有していない。この前提を崩した場合にどうなるのかはPart 2で説明する。
③ 分析の結果
IS-LM分析のプロセスを省略し,結果だけ示せば,次のようになる。
経済政策 | 需要 | 金利 |
---|---|---|
財政拡張 | 増加 | 上昇 |
金融緩和 | 増加 | 低下 |
財政緊縮 | 減少 | 低下 |
金融引締め | 減少 | 上昇 |
財政拡張+金融拡張 | 増加 | 相殺 |
したがって,ここでも需要増加の基本的な枠組みは,
財政拡張+金融緩和
となる。これは第1章で示した解決策とも整合的だ。
- デフレ対策の立案
- 第1章で示した解決策の概要(第1章 - 2)
以上より,IS-LM分析においても,財政拡張は需要拡大をもたらすという結論になっている。続く第3章では,世間でよく言われている財政拡張批判を検証する形で,「直感とずれる」解決策の正当性を確認していく。