Theme 4:経済学と複雑系
第10章 緊縮の思想
第10章では全体-個別の誤謬のひとつである緊縮財政について説明する。緊縮財政については様々な議論があるが,ここでは閉鎖的制約条件にかかわる問題を中心に取り上げる。第9章で述べた通り,閉鎖的制約条件からの逸脱は学派の如何にかかわらず「間違った主張」にあたる。
昨今,緊縮財政に対する批判的な言説が増えてはいるが,緊縮財政は常に間違いになるというわけではない[1]。しかし,失われた20年の間に行われたような,
財政再建 vs デフレ脱却
という議論はほとんど誤謬である。なぜなら,これから示すよう,「デフレ脱却なくして財政が再建される」ということはきわめて特殊で異常な状況でしか成立しないからだ。
1.債権債務の閉鎖性
財政問題に対する誤解を助長するのが「国の借金」という表現である。
国と地方を合わせた長期債務は666兆円,国民1人あたりの借金は500万円にも上る。(中略)
景気対策というよりも,負担増は選挙にマイナスになるというポピュリズム(人気取り)の繰り返しだった,といっていい。
―― 毎日新聞(2001年8月8日東京朝刊,社説)
国の借金は1千兆円を超える。政府が目標とする「2020年度までに基礎的財政収支の黒字化」が実現されたとしても,巨額の利払いが残り,財政赤字は続く。人口減少と重ねあわせれば、国民1人あたりの国債残高はどんどん増える。
―― 朝日新聞(2016年1月7日東京朝刊)
しかし,財政赤字とは国全体の債務ではなく,政府の債務のことである。そして政府とは国全体における経済主体のひとつにすぎない。
なお,国全体でみれば日本は「借金」どころか世界最大の対外債権国となっている。
- ※ 第2部で示した通り,これはよいことではなく,デフレ不況の裏返しにすぎない。
すなわち,
- 借金大国の「日本」
- 世界中に資金援助している「日本」
が両立しているのは,それぞれ表している「日本」が違うからに他ならない(前者は政府,後者は国全体)。
国家としての日本は金を借りる側ではなく貸す側だ。したがって,報道等で「国の借金は世界最大規模」という表現を用いるは不適切である。
① 債務の国内閉鎖性
経常赤字・対外債務の問題と異なり,財政赤字・政府債務の問題とは国内での貸借バランスの議論にすぎない。日本が外国から借金をしているのではなく,日本の内部で政府が借金をしているのである。
ストック(残高) | フロー(変化) | |
---|---|---|
家計 | 貸出 > 借入 | 貸出増加(預金増加) |
企業 | 貸出 < 借入 | 借入減少(財務基盤強化) |
政府 | 貸出 < 借入 | 借入増加(財政赤字) |
家計・企業が貸出増・借入減で政府が借入増(財政赤字)となっており,その合計(国全体)はほとんどゼロとなる(海外への貸出があるため国全体で小幅なプラスとなる)。
すなわち,債権債務の関係はほとんど国内で回っている(国内で「閉じている」)。ここで,
- 債権総額 = 債務総額
という閉鎖的制約条件を考慮すれば,
政府債務の削減 ≒ 家計・企業の預金の削減
という関係が成立する。もっとも,家計全体が恒常的に借入超となるとはあり得ないため,財政赤字の解決は必然的に
- 企業の貸出超を解消する
という形になるだろう。そして第2部で述べた通り,「企業の貸出超を解消する」とはデフレ脱却のことにほかならない。
- 資本主義の定義
- デフレ脱却と経済の好循環(第2部 Part1 第5章 - 2)
企業とは借入などで資金を調達し,それを元手にビジネスを行う主体のことである。したがって,まともな資本主義経済ならば企業は借入超になるのが自然だ。
言い換えれば,企業が貸出超になっているということは,資本主義経済が目詰まりを起こしているということである。この現象こそがデフレ経済である。
そのため,政府の債務を削減するには,企業の貸出を増加させなければならない(デフレ脱却)。
以上より,デフレ脱却なくして財政問題が解決することは構造上あり得ないといっていい[2]。これは閉鎖的制約条件(誰かの債務は誰かの債権)から導き出される当然の帰結である。家計・企業・政府といったミクロの経済主体と異なり,マクロ経済において債権・債務は「閉じている」。
② 問題の本質は資金需要不足
なお,現在はあまり見られなくなったが,かつては上記の貯蓄投資バランスに関して転倒した解釈が存在した。繰り返しになるが,政府の財政赤字はデフレ経済の結果である。
具体的にいえば次のような構造だ。銀行は預金を貸出に充てることで利益を得ているが,デフレ経済のため,お金を借りたい企業がない。有望な投資先がない銀行は消去法的に預金を国債購入(政府への貸出)へと回すため,結果として財政赤字が拡大している。
しかし,かつては貯蓄投資バランスで上記と真逆の解釈をしている者が散見された。
政府が国債でお金を借りまくるせいで,民間企業がお金を借りられなくなっている。国債増発による資金調達環境の圧迫が日本経済を悪化させている。
すなわち,政府の借入超が原因で,企業の貸出超が結果という考え方だ。
なかには,政府が銀行に圧力をかけてこの状況を作り出しているとする銀行買い支え説なども存在する。
日本の国債が破綻しないのは銀行が買い支えているから。銀行は政府の圧力で国債を買わされており,本当に資金が必要な企業に融資できなくなっている。
それでは,資金貸借バランスの解釈は,
- A:企業の資金需要が弱すぎる(当サイトの解釈)
- B:政府の資金需要が強すぎる
のどちらが正しいのだろうか。答えはAである。仮にBが事実ならば,それは「企業と政府で資金の取り合っている」ということになるため,
金利の上昇
が生じていないとおかしい。しかし,財政問題が指摘されて以降,企業向けの貸出金利は低下を続けており,アベノミクス以降は史上最低水準となっている。
以上より,資金は「取り合い」どころか,企業は2%の低金利ですら借りようとしない。その結果,資金は消去法的に国債へと流入し,多額の政府債務という形で表出しているのである。
2.閉鎖的制約条件の見落とし
上記の議論は閉鎖的制約条件から当然に導かれる帰結である。それにも関わらず,これを見落とした議論が散見される。その典型例として,
- ①財界出身者
- ②地方政治家出身者
- ③財務省
の3つを取り上げる。
① 財界出身者
マクロ経済学の閉鎖的制約条件を見落とす代表例は財界出身者である。
今,必要とされているのはもっとビジネス感覚のある政治。民間の知恵を取り入れて,借金依存から脱却し,もっと利益の出る政府の構築を目指すべき。
このように財界出身者が閉鎖的制約条件を見落とすのは,マクロ経済に経営者目線(ミクロの視点)を持ち込むからである。
A:債権・債務,所得・支出
確かに,企業経営において支出削減や債務削減は効果的な手段となり得る。しかし,それが有効になるのは
- 債務を削減しても債権は減らない
- 支出を削減しても所得は減らない
という前提があるからだ。これは家計にとっても同じである。
民給料が少ないときに支出を増やすなんて,常識ある庶民なら絶対におかしいと気づくはず。庶民感覚をもった政治家が経済政策を行わないことが問題。
ミクロの経済主体にとって,債権・債務,所得・支出は「開いている」。しかし,マクロ経済では,
- 債務総額 = 債権総額(誰かの債務は誰かの債権)
- 支出総額 = 所得総額(誰かの支出は誰かの所得)
という閉鎖的制約条件があるため,国が家計や企業と同じことを行えば全体-個別の誤謬を引き起こす。第6章で示した橋本政権の経済失政はまさにこの典型であった。なお,世界恐慌期にマクロ経済の立て直しに成功した高橋是清蔵相も次のように述べている。
緊縮といふ問題を論ずるに当っては,国の経済と個人経済との区別を明にせねばならぬ。
―― 高橋是清『随想録』より『緊縮財政と金解禁』
B:労働力
また,同様の理由で財界出身者は行政のスリム化(安定雇用の解体)も訴える場合が多い。
財政を立て直すには痛みを伴う改革を断行するしかない。まずは行政のスリム化,無駄な公務員のリストラ。抵抗勢力に負けず,改革を行うことが必要だ。
これも,企業にとっては
- 雇用者を削減すれば人が減る
ということ前提があるからだ。しかし,マクロ経済において人口は「閉じている」。
- 人口 = 就業者 + 失業者 + 非労働力人口
したがって,政府職員の削減は,
- 失業者を増やす(失業手当増)
- 非労働力人口を増やす(社会保障増)
- 民間への労働供給増で給与水準を下げる(消費減による税収減)
のどれかになる。いずれにしてもデフレ経済を促進することになるため,かえって財政を悪化させる要因にしかならない。
そもそも,ツイート例にあった「利益の出る政府」という発想自体に大きな問題がある。仮に政府が利益を上げているとすれば,それは行政サービスにコスト以上の対価が要求されているということだ。これは公益性に反するのみならず,民間経済の圧迫要因にもなる。
C:グレートマン症候群
しかし,経営者の多くはその誤謬にもかかわらず,的外れな政策提言を続けている。以下は,一時期話題になったファーストリテイリング(ユニクロ)の柳井社長の提言だ。
まずは国の歳出を半分にして,公務員などの人員数も半分にする。それを2年間で実行するぐらいの荒療治をしないと。今の延長線上では,この国は滅びます。
―― 日経ビジネス「柳井正氏の怒り『このままでは日本は滅びる』」(2019年10月9日)
なお,こうした傾向はアメリカでもみられ,この現象をクルーグマン教授は「グレートマン症候群」と呼んでいる。
- グレートマン症候群
- 特定分野での著名人が,専門ではない別分野についても詳しいと誤認し,声高に意見を述べるようになること。
経営者はマクロ経済政策の専門家ではなく,代表的な素人である(それゆえ,閉鎖的制約条件を頻繁に見落とす)。しかし,世間も本人も「経営者は経済に詳しい」と思い込んでいるため,その間違いにはほとんど気づかない。多くの経営者は「経済」に詳しいものの,それは「マクロ経済政策」について詳しいこととまったく別個の問題である。
② 地方政治家出身者
財界出身者と同様,地方政治家出身者も閉鎖的制約条件を逸脱しやすい。
債権・債務
地方と国における全体-個別の誤謬が引き起こされた代表例は,江戸時代の
- 享保の改革(徳川吉宗)
- 寛政の改革(松平定信)
である。両改革とも緊縮財政(倹約と増税)によって幕府財政の立て直しを図ったが,目立った効果を上げることはできなかった。特に,苛烈な緊縮策をとった寛政の改革にでは,積極財政期(田沼時代)に健全化していた財政をさらに悪化させることとなった。
しかし,徳川吉宗・松平定信はそれぞれ紀州藩・白川藩の経済・財政立て直しに成功し,その功績が認められて幕府に取り立てられた人物である。つまり,問題は地方財政健全化の手法をそのまま中央財政に持ち込んだことにある。
逆にいえば,地方の経済運営は多くの部分で企業経営と共通している。実際,地方における緊縮財政はデフレ期でも有効に機能する。むしろ,中央政府のような通貨発行権がない(金融政策という手段がない)ため,財政再建をしなければ(中央政府と異なり)容易に破綻することになる。
地域経済活性化
閉鎖的制約条件という観点から,再び第4章で紹介した誤謬を考える。
特産物や観光,外国企業の誘致などによって,日本を魅力ある国にしていくことが重要だ。何事も創意工夫。政府支出に頼りっぱなしはよくない。
地方自治体レベルでは特産物,観光,施設誘致などで経済を立て直すことは(理論上)可能である。しかし,それは単に他の自治体から需要を移し替えているに過ぎない。すなわち,国全体でみれば,上記の施策は「閉じている」。
国内であれば地域間に為替変動はなく人の移動も自由だ。そのため,地域の「経済・財政の立て直し」はもっぱら,
- 他の地域から所得を奪う
- 他の地域に債務を押し付ける
という手段になる。ただし,この手法をそのまま国家経済に持ち込むことはできない。クルーグマン教授はこれをゴミ処理の例で説明している。
オープン・システムとクローズド・システム(注:閉鎖的制約条件)の違いを説明するため,経済以外の例として,固形廃棄物(不燃ゴミ)を考えてみる。(中略)廃棄物処理サービスがその自治体に対価を払って,私たちのごみを捨てる権利を買っているのだ。自治体が処理場を持たないと決めるとゴミの回収量が上がるわけで,私の住む自治体はその道を選んだことになる。町のなかに醜いゴミ用埋め立て地があるよりましだ,と喜んで料金を払っているのである。
―― クルーグマン『グローバル経済を動かす愚かな人々』
ゴミ処理は地方レベルで融通することが可能でも,国レベルではどこかで処理をしなければならなくなる。つまり,ゴミ処理は地方では「開いている」が,国では「閉じている」。
③ 財務省
最後に財務省悪玉論について取り上げる。
財務省の官僚は省の利益しか考えていなくて,とにかく増税をしたがっている。それでマクロ経済が悪化することもわからないバカの集まり。
財務省の増税志向やマクロ経済への悪影響はその通りなのだが,これが誤謬であるとまでは言い難い。その理由は,
財務省の仕事はマクロ経済をよくすることではない
からだ。財務省の仕事は財政(政府の経済)を健全化させることであり,マクロ経済(国の経済)を健全化させることではない。したがって,財務省が緊縮財政を志向するのは,
- 財務省は日本を滅ぼそうとしているから
- 官僚にはバカしかいないから
ではなく,
- それが財政法で定められた仕事だから
という構造上の理由が大きい。
つまり財務省という存在そのものが全体-個別の誤謬だということだな!そんな省庁は解体した方がいい!
このように考える人もいるだろうが,大前提として,官僚機構とは還元主義そのものである。
これは企業組織などの部署も同じ構造だ。それゆえ全社的な調整を行うために,大きな組織では横断的なプロジェクトチームが組まれたりする(全体-個別の誤謬の防止)。
もっとも,かつてはこのプロジェクトチームに相当する組織として経済企画庁が存在していた。しかし,橋本政権による中央省庁再編によって内閣府へと統合され,現在は「長期経済計画」という設置法上の文言が消去されている。こうした理由から経済企画庁の復活を望む声もある。
しかし,いくらプロジェクトチームが創設されたとしても,
- 国全体の意思決定を行う政治家自身が緊縮財政を志向する
- 国民がそれを支持する(無駄削減に賛成票を投じる)
という環境が変わらなければ,全体-個別の誤謬が解消されることはないだろう。役員(政治家)や株主(国民)の意見と異なることを,横断的なプロジェクトチームが単独でできるはずなどないからだ。
3.緊縮左派
上記とは別に緊縮財政を訴える大きな勢力が存在する。それが緊縮左派だ。
- 緊縮左派
- 公共事業拡張に批判的で,消費税増税などに賛同する政治的な左派。
一般に左派は平等を重視するため,拡張的な福祉政策や大きな政府を好む傾向がある。もちろん,このことは増税を志向することと何ら矛盾しない。しかし,緊縮左派にはひとつ重要な特徴がある。それは低所得者が不利になるはずの
消費税増税(間接税増税)
に賛成する点だ。
実際,所得に占める消費のウェイトは低所得者ほど高くなる。それゆえ,消費に対する課税(間接税)は低所得者ほど不利になりやすい。
一方,所得に対する課税(直接税)は累進課税などの制度もあり,相対的に高所得者への負担が大きくなる。格差是正という観点からすれば,間接税増税はそれと逆行するといえるだろう(消費税の逆進性)。
例 | 相対的負担 | |
---|---|---|
直接税 | 所得税・相続税 | 高所得者 |
間接税 | 消費税・ガソリン税 | 低所得者 |
① 消費税増税と脱成長
間接税が低所得者に不利ならば,なぜ平等を重視する左派が消費税増税を訴えるのだろうか。それは,
消費税が経済成長に依存しない
という性質を持つからである。
このことは,
日本はもう経済成長しないんだ!成長にとらわれた国家運営はもうすべきではない!
という認識を持っている場合,極めて重要になる。結論からいえば,緊縮左派とは第2部 Part 1で述べた(資本主義を前提とする)脱成長論者のことにほかならない。
- ゼロ成長経済論
- 資本主義を前提とする脱成長の誤謬(第2部 Part1 第5章 - 4)
経済成長しないという前提に立つならば,成長に依存する直接税によって福祉を維持することはできない。そこで福祉のために間接税(消費税)の増税という結論に至るのだ。このため,緊縮左派は成長限界論が論じられやすい先進国で多くみられる。
しかし,これが誤りであることは既に述べた通りだ。少なくとも他の主要先進国なみの経済成長を維持できていれば,財政問題はここまで悪化しなかったはずである。
② 閉鎖的制約条件による説明
上記の問題を閉鎖的制約条件によって説明する。前述の通り,マクロ経済学においては,
- 所得総額 = 支出総額(三面等価の原則)
が成り立つ。しかし,それは「誰かの所得は誰かの支出」という意味であって,「誰かの所得増は誰かの所得減」という意味ではない。マクロ経済の課題が国民所得の増加であることからもわかる通り,総所得それ自体は拡大したり縮小したりする。すなわち,マクロ経済において所得・支出関係は「閉じている」が,所得そのものは「開いている」。
閉鎖的制約条件は,
- 経済成長する
- 総所得が増える
- 総支出が増える
がすべて同じだということを表している。したがって,デフレ経済において総支出を縮小させるような政策は経済成長を抑える方向にしか作用しない。
- ※ デフレ経済とは所得(生産)サイドの問題ではなく,支出(需要)サイドの問題である。したがって,支出を伸ばすことが経済成長に直結するという結論になる。
緊縮左派は閉鎖的制約条件を誤認している。マクロ経済は所得に関して「開いている」ため,ゼロサムゲームにならない。
- ゼロサムゲーム
- 利益と損失の合計(サム)がゼロになるゲーム。
ゼロサム思考の増税論とは第2部で述べた「奪い合い」の議論に他ならない。Win-Win関係が想定されないため,「あっちが多すぎるから,それを取り上げてこっちに移せ」という論争に終始する。
同様の理由で,Lose-Lose関係(両方負け)も想定されていない。これが緊縮左派の最大の問題点である。経済が総所得に関して「閉じている」ならば,「税として吸い上げ,福祉として吐き出す」という施策は経済全体に対してニュートラルである(誰かの得は誰かの損)。しかし,現実の総所得は「開いている」。支出の多い層から資金を吸い上げ,それを支出の少ない層に吐き出せば,総支出の減少という形で,経済全体は縮小方向に進むこととなるだろう(両方負け)。