第3部 - 1:政府失政と3つの誤謬(全体-個別の誤謬)

Theme 1:マクロ経済政策の理論

1章 対策立案の基礎

第1部 Part 1および第2部 Part 2においては以下のことを突き止めた。

  • 問題の所在:賃金の不十分な上昇
  • 問題の原因:デフレ経済(需要不足)

第3部ではその解決策について提示する。

なお,長期停滞の原因をデフレ経済だと考えない経済学者は一定数存在する。彼らがなぜそのような解釈をするのかはPart 2の内容となるため,ひとまずPart 1では

  • 問題の原因:デフレ経済(需要不足)

という見方が正しいと仮定して議論を進めていく。

1.原因を誤認した解決策

対策立案に入る前に,第2部 Part1で説明したやってはいけない対策について再度確認する。具体的には以下の2つだ。

  • ①構造説に基づく対策
  • ②ミクロ需要創出

① 構造説に基づく対策

間違った対策のひとつは構造説に基づく対策である。

構造説
バブル崩壊後の経済停滞が構造改革の遅れなどにあるという考え方。

構造説とは,たとえば,日本経済低迷を以下のような理由で説明するものだ。

  • 先進国になり,成熟社会・成熟経済になったから
  • 少子高齢化が進行しているから
  • グローバル化に遅れ,世界の環境変化に対応できなかったから
  • 従来型の製造業に固執し,IT技術の波に乗り遅れたから
  • 日本企業に柔軟な発想がなく,イノベーションが欠如しているから
  • 日本的経営が時代遅れで非効率だから
  • 公共事業中心の経済政策が時代遅れで非効率だから
  • 独自性や創造性を活かす教育がなされてこなかったから

上記の指摘,その通りだと思うものもいくつかあるんだけど。何が間違っているわけ?

問題の本質はこれらが正しいか間違っているかということではなく,

日本経済低迷の主な原因とは考えられない

ということにある。すなわち,構造説に基づく対策は原因究明段階で間違っている。

日本経済低迷の主な原因はデフレ経済だ。教育や少子化といった構造問題が理由ならば,その影響は徐々にしか表れない。それゆえ,構造説ではバブル崩壊以降の「急速な」景気低迷や失業率上昇を説明することができない。

しかし問題は,それがなぜ90年代の日本においてのみ,かくもはなはだしい長期停滞の原因となり得たのかである。この疑問に対する回答を含まない限り,さまざまな構造問題をいくら列挙したところで,90年代日本の経済低迷をそれによって説明したことにはならないのである。

―― 野口旭『構造問題説の批判的解明』(原田泰・岩田規久男『デフレの実証分析』より)

もっとも,構造問題が真因でなかったとしても「デフレ脱却と並行して行えばよい」と考える人は多いだろう。

問題の原因がデフレか経済構造かって論争,意味あります?普通に考えればどっちにも問題ありますよね。じゃあ両方に取り組むことが必要なんじゃないんですか?自説のため片方だけに固執しようとするなんてバカらしいです。

しかし,多くの場合,デフレ脱却構造改革同時に行うことができないPart2ではこの問題を中心に扱っている(短期-長期の誤謬)。

② ミクロ需要創出

間違った対策のもうひとつはミクロ需要創出である。これは原因に対する誤認というより,マクロ経済に対する誤認といえる。

A:財市場

たとえば,以下の主張はいずれもミクロ需要創出(マクロ経済に対する誤認)に該当する。

本当に独自性・創造性のあるものなら需要は創出される。日本がデフレなのはかつての「三種の神器」のように,みんなが欲しがるものがないからだ。

柔軟な発想を評価できていないことが日本経済の停滞の理由。イノベーションの欠如がオリジナリティのあるクリエイティブな商品の誕生を阻んでいる。

上記の主張は

  • ミクロの需要(個別商品需要)
  • マクロの需要(総需要)

を混同している。仮に企業が「売れる商品」で個別商品の需要を創出したとしても,総需要が増加しなければ「需要の移し替え」にしかならない。

総需要のが増加するのは,家計が消費額を増やした場合などである。言い換えれば,家計が節約傾向にあるならば,どんなヒット商品が出ようとデフレ経済が解決することはない。

B:労働市場

これと同様のことは失業問題にも当てはまる。たとえば,以下の主張もミクロの需要とマクロの需要を混同している。

本当に優秀な人材ならば企業が雇おうとしないなんてことはあり得ない。失業率が高いのは最近の若者が努力をしなくなっただけ。ただの自己責任。

すべての労働者がどんなに優秀であろうとも,企業が内定者数を増やすわけでないのならば,経済全体の失業率は不変である。

  • 単純労働経済
    労働者の優秀さとデフレ経済は無関係(第2部 Part1 第6章 - 3)

以上のようなミクロとマクロの混同を,当サイトでは全体-個別の誤謬と呼んでいる[1]

全体-個別の誤謬
全体(マクロ)を個別(ミクロ)の単純合計だと考えることで生じる誤謬。マクロがミクロの単純な合計にとどまらない場合,ミクロの解決策がマクロに適用できなくなる場合がある。

この誤謬こそマクロ経済失政を引き起こす最大要因といっていい。Part 1はこの誤謬を中心に扱う。

2.デフレ対策の立案

解決策で注意すべき点として,

  • 構造問題が原因ではない
  • ミクロ需要創出は解決策にならない

の2つを確認した。それではどのような解決策が望ましいのだろうか。答えは,

政府介入

である。

政府介入だって?それは社会主義者の発想だ!民間の力を活かすべきだ!

しかし,民間の力でデフレ経済を解決することは不可能といっていい。なぜなら,デフレ経済は

民間(企業と家計)の合理的な行動の集積

によって引き起こされているからだ。以下は,

  • 所得低下(リターン低下)
  • 所得低下(リターン低下)

に対する家計と企業の合理的行動である。

家計の合理的行動 企業の合理的行動

所得低下 賃金低下・リストラ 利益の減少
不安定な環境 雇用環境の悪化 金融環境の不安定化
合理的行動 節約 コスト削減

家計と企業の合理的行動による結果は,互いの合理的行動の原因になっている。そのため,デフレ経済は以下のような循環構造を形成する(デフレスパイラル)。

いったんこのような循環が構築されてしまえば,システムの内部(民間)からその流れを反転させることはできない。言い換えれば,解決策はシステムの外部から圧力をかける,すなわち,政府介入によって是正すべきという結論になる。

  • ※ 第3章で述べるが,政府介入はデフレ経済の流れを反転させる呼び水でしかない。家計の消費や企業の事業投資を誘導することが目的であり,社会主義・共産主義の発想とは根本的に異なる。

具体的解決策

以上の枠組みにしたがって,具体的な解決策を考える。上記の表で示した家計と企業の合理的行動を反転させればよいのだから,それに対応した政府の行動は以下のようになるだろう。

消費拡張策 投資拡張策
所得
引上げ
民間 減税,福祉拡張,給付金 金融緩和(金利引き下げ)
公的 公務員増員,公務員給与引き上げ 財政拡張(公共事業拡大)
環境安定化 雇用安定化,規制強化 金融安定化,公的資金注入
  • ※ 上記はGDP項目にしたがって分類している。たとえば,民間消費拡張を狙って公共事業を行ったとしても,その支出は政府投資に計上されるため「公的・投資拡張策」に記述している。

これらの政策が負の循環(デフレスパイラル)に歯止めをかけることとなる。

なお,以上の解決策は何ら目新しいものではない。それどころか,この表の「所得引上げ」の部分は公務員試験のテキストなどにも記載されている閉鎖経済モデルそのものである[2]

デフレ経済とは需要不足のことだ。したがって,上式における右辺の

  • C(消費)を増やす(減税など)
  • I(投資)を増やす(金融緩和など)
  • G(政府支出)を増やす(公共事業など)

が(基礎的な経済学において)解決策の大枠となっている。

  • 国民経済計算
    基礎的なマクロ経済学の枠組みについて(第2章 - 1)

3.解決策に対する違和感

対策立案の枠組みは以上で終わりである。適切な原因究明ができていれば,解決策を講じることは容易だ。

しかし,果たしてこの解決策に納得できただろうか。もちろん,第1部から読み続けてきた人のなかには,上記の対策に対して特に違和感を感じず,

なんで政府はこんな簡単なこともわからなかったんだ!政治家はバカしかいないのか!

と思った人も多いだろう。しかし,それは

  • 問題特定(第1部
  • 原因究明(第2部

という手順を踏んできたからだ。たとえば,「なんとなく日本経済に閉塞感がある」くらいにしか問題を認識しておらず,その原因もよくわからない人であれば,

その閉塞感は公共事業を増やして,金利を下げなければ解決されない!

と言われても,同意する人はほとんどいないだろう。

実際,第1部から読み続けた人でもこの解決策(特に公共事業拡大)には違和感を覚えている人がそれなりにいるはずだ。これこそ最も重要な点なのだが,マクロ経済には

立案される対策が直感とずれる

という性質があり,それが全体-個別の誤謬を生み出す原因となっている。


これから続くPart 1での議論の中心はこの「直感とずれる」という性質である。そこで,まずはマクロ経済政策について,

  • 第2章:教科書などにどう書かれているのかを確認
  • 第3章:よくある公共事業拡大への批判に対する検証

という流れで簡単に整理する。

また,なぜ「直感とずれる」という性質が生じるのかについては,

  • 第8章:非線形性
  • 第9章:創発,自己組織化

において説明する。

  • ^1これと近い概念に「合成の誤謬」がある。合成の誤謬は,ミクロの最適行動がマクロにとって望ましくない結果をもたらすことを指す。一方,全体-個別の誤謬はミクロの最適行動がその合計以上にマクロにとって望ましい結果をもたらすような場合も含めているため,合成の誤謬より広い概念として用いている。
  • ^2第2部で述べた通り,基礎的なマクロ経済学においては不確定性(リスク)・不確実性が考慮されていないため,「環境安定化」については基本的に言及されていない。