第3部 - 1:政府失政と3つの誤謬(全体-個別の誤謬)

Theme 3:デフレ対策の歴史

6章 日本政府のデフレ対策

第1~3章までの議論に基づいて過去の政権を評価する。ただし,あくまでデフレ対策という枠組みによるものであって,それ以外の経済政策は考慮していないし,その政権総体を評価するものでもない。

1.アベノミクス検証

アベノミクスは当初,以下の3本の矢が政策運営の柱として掲げられていた。

  • 第1の矢:金融緩和
  • 第2の矢:財政拡張
  • 第3の矢:成長戦略

第1の矢と第2の矢からわかる通り,アベノミクスとは何ら特殊な経済政策ではなく,教科書通りのデフレ対策である。

デフレ経済が問題であるという指摘は1990年代からあったが[1],明示的に「デフレ脱却」を掲げたのは安倍政権が初めてだ。標準的な政策なはずのアベノミクスが斬新かつ独創的に映ったのは,後述するよう,それまでの日本政府が20年にわたってほとんど「普通の経済政策」を行われなかったことに起因する。

アベノミクスでは「2年で2%のインフレ」という目標が設定された。しかし,政権成立から現在に至るまで,その目標は達成されていない。

すなわち,安倍政権はデフレ脱却に失敗したのである。なぜそのような結果になってしまったのか,以下に3つの理由を述べる。

① 消費税増税

デフレ脱却に失敗した理由として最も多く挙げられるのが消費税の増税である。実際,安倍政権の経済政策がデフレ対策であったという主張には違和感を持つ人も多いだろう。

安倍政権は2度にわたって消費税を増税した。増税は民間消費に悪影響しか与えないんだから,アベノミクスはデフレ脱却どころかデフレ促進政策だった。

上記指摘のとおり,消費税増税は明らかにデフレ促進策である(標準的なデフレ対策は減税)。

ただし,消費税増税はアベノミクス3本の矢には含まれておらず,それを具体化した『日本再興戦略』にも記述がない。これから示す通り,アベノミクスがデフレ脱却(インフレ率2%達成)に失敗した主たる理由は政策コンセプトの欠陥にあるのではなく,消費税増税のように

当初のコンセプトと異なる政策が次々と実行されたこと

にある。この変節こそ安倍政権における最大の問題であった。

なお,消費税増税の責任は安倍政権にないとする主張も散見される。

2014年に8%へ増税することが決まったのは2012年の8月で,それを決めたのは民主党。その頃,安倍前首相は党の総裁や幹事長ですらなかった。

確かに,消費税増税の方針を決めたのは野田政権だ。しかし,自民党は事前協議でそれに合意しており(三党合意),安倍前首相を含む全自民党議員が賛成票を投じている(一方,民主党からは反対票や離党が出ている)。

別ページで述べるが,増税に賛成する議員は旧民主党よりも自民党の方が多い。アベノミクスが変節した根本的な原因はそうした議員を抱える自民党にある。そして,それに流されて増税の悪影響を過小評価した安倍政権にも大きな責任がある。

本日、私は、消費税率を法律で定められたとおり、現行の5%から8%に3%引き上げる決断をいたしました。(中略)

15年間にわたるデフレマインドによってもたらされた日本経済の縮みマインドは変化しつつある。であれば、大胆な経済対策を果断に実行し、この景気回復のチャンスをさらに確実なものにすることにより、経済再生と財政健全化は両立し得る。これが熟慮した上での私の結論です

―― 安倍内閣総理大臣記者会見(2013年10月1日)

② 財政健全化

安倍政権(およびそのブレーン)が消費税増税の影響を軽視していたことは,最初の増税(2014年4月)前の議論などをみれば明らかだ。そして,その傾向を象徴するのが

第2の矢(財政拡張)の失速

である。

当初こそ「機動的な財政政策」の方針にしたがって大型景気対策が組まれたが,その後の公共投資はむしろ減少傾向で推移しており,デフレ対策と逆行している。消費税増税と同様,当初の政策コンセプトと異なっている。

なお,自民党に対しては依然として以下のようなイメージを持つ人が多い。

民主党から自民党にかわって,バラマキ政策も復活。無駄なハコモノばかり建てられて赤字は増える一方。こんなんじゃ財政再建なんてできない。

確かに,民主党は緊縮的な予算を掲げていたものの,その実現には失敗しており,結果としてデフレ悪化が部分的に抑えられていた。財務省やマスメディアが公表するのは当初予算による比較であるため,自民党の方が積極財政であるとの誤解が生じやすいが,実際にはほとんど変わらない。

財政拡張(第2の矢)が失速したことで,アベノミクスのデフレ対策は金融緩和(第1の矢)に傾斜することとなった。したがって,現実のアベノミクス評価は以下のようになる。

仮に消費税増税が三党合意に縛られていたとしても,財政拡張によってその影響を和らげることは可能だ。それを行わないのはデフレ対策から財政健全化の方に軸足が移ったことを意味している。

そりゃ政治家は景気回復もしなきゃいけないし,財政赤字もどうにかしなきゃいけない。そこはバランスとらなきゃダメなんだから,デフレ対策だけで評価するのは不公平でしょう。

こう考える人もいるだろうが,デフレ経済を脱却せずして財政が健全化することは構造上あり得ない。したがって,デフレ脱却(全体の経済)と財政健全化(政府の経済)はバランスの問題ではなく,必ずデフレ脱却が優先されなければならない。このことは第10章で説明する。

③ 働き方改革

2015年9月以降,安倍政権は「一億総活躍社会」を全面に掲げ,同一労働・同一賃金をはじめとする働き方改革などを経済政策の中心に据えた(アベノミクス第2ステージ)。

一億総活躍社会の完成に向かって,多様な学び,多様な働き方,そして多様なライフスタイルに応じて安心できる社会保障制度。三つの改革に,安倍内閣は果敢に挑戦いたします。(中略)同一労働同一賃金によって正規,非正規の壁がなくなる中で,厚生年金の適用範囲を拡大し,老後の安心を確保します。

―― 衆議院本会議(第200回,第1号,2019年10月4日)

働き方改革の主要な目的には生産性向上があるが,これは供給を引き上げる政策で,需要を引き上げる政策ではない。2017年度の経済白書にある「働き方の変化と経済・国民生活への影響」には「生産性」という言葉が約100回使われているが,「デフレ」「物価」という言葉は1度も出てこない。

長期的にみても,少子高齢化・人口減少が進み,人手不足が継続することが見込まれており,我が国経済の持続的成長のためには,労働参加率を高め,かつ生産性を向上させていく取組が求められる。こうした観点からは,政府が取り組んでいる「働き方改革」を推し進めていくことは,誰もが生きがいを持って,その能力を最大限発揮できる社会を創り,労働市場を起点にして,我が国経済全体の活性化に資するものと考えられる。

―― 平成29年度 年次経済報告

第1章で述べた通り,日本経済の問題が非効率な労働にあるという考えは構造説であり,この是正はデフレ経済の直接的な解決策には当たらない。すなわち,2015年後半には「デフレ脱却」が実質的に最優先政策から外されたのである。


以上より,デフレ脱却が達成できていなかった理由はアベノミクスの変節にあると考えられる。しかし,野党など「反アベ」勢力は安倍政権の全否定が教条化しており,当初のコンセプトも,そのコンセプトからの逸脱も批判しているため,的外れな政策提案しかできていない。実際,これまでの文章を読みながら,

このサイトは安倍擁護か,それとも反アベか…

と考えている人もいるだろう。しかし,経済政策については一貫性を欠いているため,「安倍擁護」も「反アベ」もない。

私はアベノミクス,特に第2の矢について,政府の方針を高く評価しています。しかし,実際の予算はそれと逆行しているではありませんか!これは矛盾していませんか?

これくらい発言できる野党議員が出てこない限り,誰が首相になろうとデフレ脱却の政策が実行されることはない。

2.デフレ対策を行った政権

もっとも,安倍政権以前にもデフレ対策を試みた政権は存在した。ただし,それらの政権はいずれも長続きせず,その後の首相によって政策転換(デフレ対策の撤回)が行われている

政権 期間 結末
宮澤政権 91年11月~93年8月 政権交代
小渕政権 98年7月~00年4月 死亡
麻生政権 08年9月~09年9月 政権交代

以下は1990年~2014年までの景気と政権である。

  • ※ 赤枠の部分がデフレ対策を行った政権。

以下は上記の年表を

  • 失われた10年
  • 小泉構造改革~民主党

に分けたものである。

宮澤政権はバブル崩壊時に,麻生政権はリーマンショック時に成立し,いずれも教科書通りのデフレ対策を行った。一部では,

政府はまともな経済政策をしない!バカしかいないのか!

という声があるが,「バカ」どころか初動政策は適切だったのである。しかし,注目すべきは,両政権の顛末である。「まともな対策」を行ったはずの政権は政権交代という形で民主的に引きずりおろされるに至った。

① 宮澤政権

宮澤内閣はバブル崩壊で不況になったころ(平成不況)の政権である。このとき政府は3度にわたって経済対策を実施した。

閣議決定 経済対策 規模
1992年3月 緊急経済対策
1992年8月 総合経済対策 10.7兆円
1993年4月 新総合経済対策 13.2兆円

特に総合経済対策(1992年8月)では序文に需要不足への言及があり,景気浮揚策としての色彩が強く表れている。

我が国経済は現在,最終需要を中心に停滞しており,資産価格の下落もあって厳しい状況に直面している。

―― 総合経済対策(1992年8月)

今では当たり前となっているが,「経済対策○○兆円規模」という表現もこのときに初めて用いられた。

一方,金融緩和については不十分だったという意見が多い。ただし,1992年4月の金利引き下げには強い政治的圧力があったことが知られており(当時はむしろそれが問題視された),政府はできる限りのデフレ対策を行っていたといえる。

しかしながら,宮澤政権はその後の選挙で崩壊した。公共事業を中心とした経済政策への評判が悪かったことに加え,公的資金注入を示唆したことから,支持率は急落する。

たとえば,当時のテレビ朝日の目玉番組「ニュースステーション」の看板キャスターであった久米宏氏は,「高い給料をもらっている銀行員を庶民の血税で救済するのはけしからんことです」と宮沢政権の方針を批判したのである。

―― 三橋貴明『歴代総理の経済政策力』

公的資金注入は撤回されたものの,自民党は選挙で大敗し,八党連立政権が成立した。なお,その数年後には大手金融機関(拓銀,山一証券,長銀,日債銀)が破綻し,日本経済はさらなる不況へと突き進んだ挙句,かえって多額の公的資金注入を強いられることとなる。

② 小渕政権

小渕内閣は緊縮不況後の政権である。このとき政府は2度にわたって経済対策を実施した。大手金融機関が次々と倒産し,自殺者が急増したのはこの緊縮不況においてであり,一般にイメージされる「バブル崩壊」にあたる。

閣議決定 経済対策 規模
1998年11月 緊急経済対策 23.9兆円
1999年11月 経済新生対策 18.0兆円

麻生財政が行われる以前においては,日本最大の財政拡張政策は小渕財政であった。なお,当時の蔵相は宮澤元総理である。

しかし,小渕首相は2000年4月に脳梗塞で倒れ,森政権へと移行する。森政権は小渕政権の経済政策を引き継ぐ形でスタートしたが,支持率の著しい低下を受け,世論に迎合する格好で,公共事業削減へと舵を切っていった(行政機関政策評価法)。

③ 麻生政権

麻生内閣はリーマンショック時の政権である。このとき政府は2度にわたって経済対策を実施した。

閣議決定 経済対策 規模
2008年10月 生活対策 26.9兆円
2009年4月 経済危機対策 56.8兆円

安倍・菅政権下での麻生財相は財政再建を重視しているが,それ以前は積極財政派の政治家として知られていた。実際,経済危機対策はコロナ対策が実施される以前は日本史上最大規模の財政出動であった。

もっとも,麻生政権も宮澤政権と同様,公共事業拡張はすさまじい批判を浴びることになる

一般会計規模13兆9200億円の09年度補正予算が29日成立する。国会でも「アニメの殿堂」など無駄の一端が明らかにされたほどの,大盤振る舞いだ。基金の乱造にみられるように要求官庁が内容を詰め切れない事業も少なくない。景気の急速な落ち込みに,とにかく,政府として大がかりな追加措置を打っておけば、国内外に言い訳ができるという予算と言わざるを得ない。

―― 毎日新聞(2009年5月29日,東京朝刊,社説)

上記の「アニメの殿堂」とは公共事業のひとつである国立メディア芸術総合センターへの予算のことだが,首相本人の漫画好きと結びつけられ,格好の攻撃材料とされた。

5月27日の党首討論で,民主党の鳩山由紀夫代表は辛辣(しんらつ)な表現で補正予算をやり玉にあげた。4月の代表質問では「巨大な国営マンガ喫茶」とも揶揄(やゆ)した。市販のマンガを来場者が自由に読めるような印象を与える発言だが,文化庁は「そんな施設にする意図は全くない」と反論する。

―― 産経新聞(2009年6月30日)

財政拡張政策は麻生首相(当時)の出自(麻生グループの御曹司,祖父が吉田茂元総理)などと重ねられ,「庶民感覚の欠如した首相」と批判を浴び,支持率は急落した。

TBSが有権者1208人を対象に行った調査によると,麻生内閣を支持しないとの回答は,内閣発足直後の調査から3.1ポイント増加して50.6%、支持するとの回答は4.0ポイント下げて47.1%だった。また43%が,麻生首相が掲げる政策には期待できないとしている。

麻生首相がホテルの高級バーに足繁く通っているとして批判を受けている点については,61%が好ましくないと回答した。

―― AFP(2008年11月10日)

自民党はその後の選挙で大敗し,民主党政権が成立した。デフレ対策は撤回され,公共事業削減路線(事業仕分け)へと転換することになる。

3.デフレ対策と政治

なぜ,まともな経済政策を行った政権は短命だったのだろうか。それは,第1章で述べた通り,

立案されるマクロ経済政策は直感とずれる

という性質にある。すなわち,政府に問題がなかったとしても,国民が全体-個別の誤謬に陥れば,デフレ対策は中断される。第4部で説明するが,当サイトではこのような現象を公正論争と呼んでいる。

公正論争
経済ショック時に民主主義的な手続きによって政治混乱が引き起こされる現象。

たとえば,宮澤政権での公共事業拡や公的資金注入検討はそれぞれ大手ゼネコンや銀行に税金を投入する政策であり,少数が優遇されているように映る。その結果,多数民意の猛反発を浴び(既得権益批判),宮澤首相は「民主的に」引きずりおろされ,既存体制打破を訴える八党連立政権が成立した。この構図は麻生政権と民主党の場合についても当てはまる。

しかし,このような動きは日本を政治・経済の両面で停滞させる。

A:経済的側面

新政権はデフレ対策を行った政権の否定によって成立している。そのため,新政権でまともなデフレ対策が行われることはなく,むしろそれと逆行する政策が行われやすくなるという問題がある。

政治的側面

新政権が多数の国民が支持されたのは既存体制の打破が評価されたためである。しかし,新体制の方針について意見が一致しているわけではない。特に八党連立政権は反自民という一点だけで複数の政党が結びついた政権であった。結局,政治改革の方針をめぐって議論は紛糾し,最終的には社会党などの連立離脱によって1年足らずで機能しなくなった。


第4部で詳述するが,八党連立政権や民主党政権は政治混乱としての性格が強かった。ただし,逆説的ではあるが,政治的停滞によってデフレを促進するような政策は抑えられている(国民福祉税導入失敗,事業仕分け目標未達など)。

  • ^1年次経済報告(平成6年度)に「ディスインフレーションの進行」という項目がある。なお,小峰隆夫『日本経済の記録(歴史編第1巻)』によれば,本格的にデフレの問題が議論されるようになったのは2000年代に入ってからとされている。