Theme 2:インフラ建設
第4章 インフラ建設(前編)
第3章では
「無駄な公共事業」であってもデフレ対策として有効になる
ということを示してきたが,そもそも日本においては「必要な公共事業」すらまともに行われていない。
日本は無駄な公共事業が多すぎ。発展途上国ならまだしも,先進国の日本でインフラなんて必要とされていない。結局全部「利権」のためなんだよなあ。
ここまで極端な主張は少ないが,インフラ建設が不要だというのは大きな誤解だ。第4~5章では,マクロ経済政策とは別に,インフラ整備の重要性・必要性を
- ①防災投資(第4章)
- ②更新投資(第4章)
- ③高度インフラ投資(第5章)
の3点に絞って説明する。
1.公共投資1:防災投資
防災投資は最も賛同を得やすい公共事業だろう。実際,東日本大震災(2011年3月)をきっかけに,公共事業に対する世論は変化したと考えられる。2009年の政権交代において,民主党は「コンクリートから人へ」を掲げて与党となり,その後の事業仕分け(公共事業削減)も概ね好意的な評価を得ていた。
しかし震災以降,インフラ削減は一転して批判の的となり,政府は次々と公共事業を復活させている
民主党政権で中止や見直しを宣言した大型公共事業が相次いで動きだす。(中略)
これらの事業が認められた背景には,震災で公共インフラの必要性が再確認されたことが大きい。整備新幹線の場合,前田武志国土交通相は「震災のこともある。(交通網の)軸を強化したい」と言及。外環道などの道路整備も災害時の代替ルート確保が目的の一つで,スーパー堤防の再開も「防災対策強化」が決め手となった。
―― 産経新聞(2011年12月25日,東京朝刊)
① 日本の災害脆弱性
地震大国の日本において防災投資の需要はきわめて大きい。
でも震災以降,耐震強化が進められているんだよね?今はもうかなり防災投資が進んでるんじゃないの?
防災投資が進んだことは事実だが,日本には致命的な災害脆弱性が存在する。それは東京一極集中だ。2002年にミュンヘン再保険が主要都市の自然災害インデックスを公表したが,東京はそのなかで圧倒的なトップとなっている。
- ※ 災害危険度指数は各リスク指数の積で表されるため,上記の要因分解は厳密にいえば正しくない(交絡項が含まれていない)。たとえば,東京ならば発生確率(10)×都市構造(7.1)×経済影響(10)=710という形で計算されている。
それ以降,災害対策は進んでいるものの,東京一極集中は依然として解消されていない。内閣府の試算(2013年)によれば,首都直下型地震の被害額は100兆円規模になるとされている。
死者数 | 直接被害 | 間接被害 | 被害総額 | |
---|---|---|---|---|
阪神淡路大震災 | 6,437人 | 10兆円 | ― | ― |
東日本大震災 | 20,425人 | 17兆円 | ― | ― |
東海地震 | 9,200人 | 26兆円 | 11兆円 | 37兆円 |
東南海・南海地震 | 18,000人 | 43兆円 | 14兆円 | 57兆円 |
首都直下地震 | 11,000人 | 67兆円 | 45兆円 | 112兆円 |
- ※1 東海地震,東南海・南海地震,首都直下地震は想定値。
- ※2 死者数には行方不明者も含まれる。
東京一極集中の解消は巨額かつ緊急の需要である。また,後述するように,東京一極集中の背景には重大な全体-個別の誤謬があり,地方の過疎化と表裏一体となっている。
② リスク対策という視点
ここでもう一度,「無駄な公共事業」について考えたい。
政府に必要なのは経営者の目線。公共事業は,採算の採れないものを削減し,より効率的でリターンの高いものへ投資すべき。非効率性からの脱却が重要。
上記の考え方からすれば,東京一極集中は効率的であり,耐震強化などの災害対策は「災害が起きないならば」無駄である。少なくとも防災投資は効率性やリターンを重視したものではない。すなわち,
有事のための備えとは,平時における無駄
ということになる。
たとえば,コロナ禍でも「病院が足りない」という意見があったが,大規模感染に耐えられる医療施設を準備するということは,「平時において無駄な病院をつくる」ということだ。逆に,「無駄削減」といって効率性を優先すれば,安定性が脅かされる可能性がある。
民主党政権の事業仕分けや森政権の費用便益分析(行政機関政策評価法)[1]の根本的な問題はここにある。利益率の低い事業や赤字の事業を「無駄」と評価して削減することは,リターンのみを追求する行為であり,リスクの軽視である。
そもそも利益の出る事業なら政府がやる必要などどこにもなく,すべて民間にやらせればいいはずだ。「赤字だが必要」という案件こそ,政府が行うべき「公共」事業なのである。
2.公共投資2:更新投資(メンテナンス)
次に,最も軽視されがちな更新投資について説明する。
日本は少子高齢化で地方は過疎化の一途。そんなところに道路を作りましょう,橋を作りましょうって,これが「無駄」以外のなんだっていうの?
上記のような主張は,既存インフラのメンテナンスに多額の費用が必要であることを見逃している。
たとえば,笹子トンネル崩落事故(2012年12月)は9人の死者を出し,高速道路上の事故では史上最多の死者数となった。完全復旧には2カ月を要し,その影響は物流や観光にまで及んだ。
甲州-大月市境の中央道笹子トンネル上り線で2日に起きた崩落事故で,首都圏とを結ぶ交通・物流の大動脈が絶たれ,県内のさまざまな業界に不安が広がった。復旧には時間がかかるとみられており,運輸業者は代替ルートの確保や顧客対応に追われ,小売業者は都内からの配送への影響を懸念した。
―― 読売新聞(2012年12月3日,東京朝刊)
この影響により,2014年の改正道路交通法にはインフラの定期点検が盛り込まれた。それにより日本のインフラ老朽化が次々と明らかになっている。
上記の早期措置段階・緊急措置段階にある道路インフラは5年以内に措置を講ずるべきとされている。したがって,2014年度に早期措置段階・緊急措置段階と判定された道路インフラは2019年度の段階で工事が完了していなければならない。しかし,4割弱はいまだ未着手の状態にある。
当然ながら,2015年度以降に早期措置段階・緊急措置段階とされたものは,さらに工事未着手の比率が高くなる。それらを合計した場合,8割近くが未着手の状態にあるという結論になる。通行規制のかかっている橋梁も依然として多い。
全国約77万カ所にある橋やトンネルなどの道路インフラのうち,約8万カ所が腐食やひび割れなどで5年以内に修繕が必要な状態になっている。国土交通省の調査では,このうち約8割が修繕にとりかかれていなかった。大半は地方自治体が管理するもので財政難などが原因で進んでいないという。
―― 朝日新聞(2020年1月10日,東京朝刊)
インフラ老朽化は都市部よりも地方で深刻な状況にある。このように,日本には多額のメンテナンス需要が存在しており,これだけとっても公共事業が不要という結論にはならない。
地方インフラ論争
もっとも,地方インフラの老朽化に言及すると,必ずと言っていいほど次のような指摘が入る。
日本は少子高齢化で地方は過疎化の一途。そんなところに道路を作りましょう,橋を作りましょうって,これが「無駄」以外のなんだっていうの?
これは原因と結果の転倒に他ならない。実際,インフラが整備されていない地域ほど過疎化が問題となっている。たとえば,藤井聡教授(京都大学)は著書のなかで波床正敏教授(大阪産業大学)の資料を紹介し,新幹線整備(交通インフラ)が戦後の都市形成に絶大な影響を与えたことを指摘している。
- ※ 熊本市は2012年に政令指定都市へ移行(2010年時点では政令指定都市ではない)。
その象徴的な都市が,新潟です。(中略)
当時は日本海側の大都市といえば,図表9(注:上記の地図)からもわかるとおり,富山であり金沢だったのです。しかし,富山や金沢は新幹線が整備されなかったために,徐々に衰退していき,今では政令指定される規模ではなくなってしまいました。
一方で,上越新幹線が整備された新潟は近年とみに発展し,今では本州の日本海側で唯一の政令指定都市となったのです。
―― 藤井聡『救国のレジリエンス』
- ※ 上記は2012年時点での記述。現在,富山・金沢には北陸新幹線が通っている。
これは全体-個別の誤謬でもある。民間企業(ミクロの視点)ならば,過疎地に社屋を建設するのは非合理的だ(過疎地だから投資をしない)。しかし,国全体(マクロの視点)でみれば,不便なインフラが地方から都市部への人口移動を加速させることになる(投資をしないから過疎地)。上で述べた東京一極集中はこの裏側に他ならない。
前提 | 結果 | 結論 | |
---|---|---|---|
ミクロの視点 | 地方の過疎化 | 民間投資過小 | 「地方へのインフラ投資はもったいない」 |
マクロの視点 | インフラ投資過小 | 地方の過疎化 | 「過疎化防止のためにインフラ投資だ」 |
しかし,これまで述べてきた通り,ミクロの視点に基づく解決策の方が直感とマッチする。
特産物をつくり,観光を促進し,企業や大学を誘致し,各地域が競争することで地方は活性化する。何事も創意工夫。政府支出に頼りっぱなしはよくない。
この主張には2つの全体-個別の誤謬が含まれている。
A:原因と結果の転倒
第1に,地方の過疎化がインフラ不足によって引き起こされるというマクロの視点が欠如している。特に交通インフラは物流コスト・移動コストに大きな影響を与えることになる。当然ながら,駅のない地域が駅のある地域に特産物や観光,ましてや施設の誘致で勝てるはずがない。この条件で「競争」をしろというなら,それはあまりに不公平といえる。
そもそも,交通インフラが整備されていない各地方が,自らの力で「慣行」や「農業」「林業」といった分野を成長させることなど不可能だ。というよりも,観光や一次産業を成長させたいのであれば,なおのこと交通インフラの整備に重点が置かれるべきである。
―― 三橋貴明『最強の地方創生』
B:需要の移し替え
第2に,上記ツイート例ではマクロの視点が欠如しているため,その対策もミクロ需要創出になっている。ある地域が観光の活性化で成功した場合,全体の観光需要が不変ならば,それは「別の地域から観光需要を奪ってきた」ということにすぎない。
すなわち,どこかの地域が儲けた場合,必ずどこかの地域が損をする。インフラの弱い地域ほど不利になるのだから,経済を地域まかせにすれば,当然の帰結として,過疎地はどんどん過疎化が進み,都市部はどんどん集中が進むことになる。
このことから,経済評論家の三橋貴明氏は,安倍政権で定められた「地方創生」について
- 交通インフラ整備がひとつも含まれていないこと
- 中央官僚が計画を評価して予算を配分すること(競争政策的予算配分)
を指摘し,「地方破壊」につながると批判している。また,藤井教授に至ってはこのような「原因と結果の転倒」自体,地方切り捨ての方便だったのではないかとまで指摘している。
そもそも,格差が広がったのは,政府が投資をしなかったからです。にもかかわらず,今やその格差そのものを理由にして,もう投資をしない,といっているわけです。それなら,端から投資なんてする気はなかった,地方なんて見捨てるつもりしかなかったのだ,と疑われても仕方ないのではないでしょうか。
―― 藤井聡『救国のレジリエンス』
以上より,
- 公共事業削減
- 東京一極集中
- 地方の過疎化
は,すべて全体-個別の誤謬でつながっている。
- ^1森政権では「公共事業抜本見直し検討会」が設置され,森首相自身が「必要性等を厳しく洗い直して,中止すべき事業は中止する等の抜本的な見直しを行う」と発言している(2000年8月6日)。また,これを受けて野党民主党は「我々の主張を一部受け入れたことは評価する」としながらも,「総額の温存を前提とする自民党の姿勢は,到底理解することができない」と,さらなる無駄削減を迫る声明を発表した(2000年8月28日)。