第3部 - 1:政府失政と3つの誤謬(全体-個別の誤謬)

Theme 2:インフラ建設

5章 インフラ建設(後編)

第4章に引き続き,第5章でもインフラ投資の重要性について説明する。第4章では,

  • ①防災投資
  • ②更新投資
  • ③高度インフラ投資

の①と②について述べたので,第5章では③について説明する。なお,第4章で説明した2つの公共事業が「守りの投資」であったのに対し,第5章で説明する高度インフラ投資は「攻めの投資」である。

そして,最後にインフラ建設を,

  • マクロ経済的側面
  • 政治的側面

から総括し,これらが政治的には容易でないことにふれる(政治面についての詳細は第4部 Part 1で説明)。

1.公共投資3:高度インフラ投資

3つ目の公共投資として,昨今注目されているスマートシティ構想(高度インフラ)について説明したい。

最先端技術を住民サービスや都市機能強化に反映させる「スマートシティー」の実現に向け,府が「スマートシティ戦略準備室(PT)」を発足させ,吉村洋文知事が25日,職員を前に「人口減少・高齢化社会の中で新技術を使って府民の生活を豊かにすることは重要。成功のために力を結集してほしい」と訓示した。

PTは16日,12人態勢で発足。府は,情報通信技術(ICT)を活用した行政手続きの簡略化,自動運転技術の導入などを目指し,来春までに基本計画をまとめる方針を示している。

―― 産経新聞(2019年7月26日,大阪朝刊)

なお,記事ある自動運転技術だが,SAE International(国際自動車技術者協会)の定めた自動運転レベルに基づけば,日本は2020年でレベル3の段階にある。

自動運転
レベル1 運転支援(自動ブレーキなど)
レベル2 特定条件下の自動運転(自動追い越しなど)
レベル3 条件付き自動運転(たまにドライバーが操作)
レベル4 特定条件下の完全自動運転
レベル5 完全自動運転

政府は一定の条件付きで自動運転できる「レベル3」のための法整備を終えており,同年の行動走行の実現へ環境が整う。

自動運転車を巡っては,ホンダが20年夏をメドに,渋滞時の高速道路でシステムが運転主体となるレベル3の車を発売する予定

―― 日本経済新聞(2019年12月25日,朝刊)

一方,中国では既にレベル3の自動車が市販されており,2020年にはレベル4の段階に入っている。

中国の自動運転技術開発のスタートアップ,モメンタは30日,10月をめどに自動運転タクシーの試験運行を始めると発表した。人が操作しない自動運転の「レベル4」に相当する

―― 日本経済新聞(2020年7月1日,朝刊)

日本には世界的な自動車会社が何社もあるし,自動運転の研究も1980年代からやってきたはずだ!なんでそれが中国に負けているんだ!

理由はいくつかあるが,ひとつはインフラ格差である。中国では雄安新区(新興開発都市)に自動運転専用の一般道が整備されたほか(2017年4月着工),そこから北京に向かう京雄高速道路にも自動運転専用レーンが設置されようとしている(2019年4月着工)。

また,河南省鄭州市では自動運転バスが運行されているが(レベル4),それが可能なのはその運行エリアが全域で5G通信利用可能な特別地区(智慧島,インテリジェンスアイランド)だからである

一方,日本では特に一般道において課題が山積している。これらは無人バスや無人タクシーの導入において致命的といっていい。

また,それらを実現するための法整備にも遅れがみられる。

中国の新石器慧通科技(ネオリックス)は,一定の条件下でシステムが全ての運行を担う「レベル4」の自動運転技術をもつ。消毒・宅配用を中心に今年sに入り世界中から1,000台超の注文が入った。(中略)

日本は対応が遅れている。宅配ロボットが公道を走るには警察の道路使用許可が必要で,監視員がいない無人化は難しい。

―― 日本経済新聞(2020年7月1日,朝刊)

① 交通インフラで敗北する日本

もっとも,政府権限の強い中国と比較することには違和感があるかもしれない。他の先進国対比では日本も負けていないと考える人もいるだろう。

中国は例外かもしれないが,一般道の問題は他の先進国でも同じではないか!むしろ無駄な高速道路の多い日本の方が有利になるはずだ!

これは明らかな誤解である。日本は諸外国と比べて時速60キロ以上の道路が少なく,「無駄」どころか「フル稼働」の状態にある。

なお,道路に限らず,空港や港湾についても日本は何ら優越的な立場にない。評価方法にもよるが,日本が韓国より上位にくるケースはほとんどないといっていい。

この状況を是正する手段は公共事業以外に存在しない。民間や地方自治体の力で韓国の仁川国際空港や釜山港に匹敵するインフラなど建設できるはずがないからだ。

また,これらの国際比較において,日本が考慮しなければならない重要な問題がある。それが第4章で述べた

  • ①防災投資

との兼ね合いだ。たとえば,地震のないフランスの橋梁は日本よりもはるかに簡素なつくりをしていることがわかる。

  • ※ 上記の写真はシャルル・ド・ゴール空港の橋梁。

一方,日本は山林が多く平地が少ないうえ,地震や台風の被害もあるため,インフラ建設の金額は必然的に高くなる。それにもかかわらず,日本は「無駄削減」といって公共事業を縮小し続けた。そして,第4章で述べたよう,今ではその老朽化が問題となっている始末である。

土台を削って表面だけ取り繕っているのだから,経済大国であった日本が世界に追い上げられるのは必然といえるだろう。

② 地方のスマートシティ化

高度インフラの問題も地方の疲弊と大きな関係がある。たとえば,公共事業については次のような批判がある。

日本は少子高齢化が進んでいるんだから,公共事業が減るのは当たり前。特に過疎化の進む地方なら,インフラはもっと減らさなくちゃいけない。

日本で少子高齢化が進んでいることは事実だが,それは(道路網を張り巡らせていた)イタリアやドイツも同様であり,公共投資の減少の根拠とはならない。

それどころか少子高齢化が問題ならば,公共投資はますます重要になる。そのことを,

  • 需要面
  • 供給面

の両方から説明する。

A:需要面

たとえば,冒頭の記事にあった通り,スマートシティや自動運転の目的には少子高齢化対策が挙げられている。政府は昨今の高齢者による自動車事故増加を受け,「未就学児等及び高齢運転者の交通安全緊急対策」を閣議決定したが(2019年6月),そこでも自動運転技術の普及公共交通の拡張を進める方針が記されている。

車が「生活の足」となっている地域は少なくない。高齢者が免許の自主返納を躊躇(ちゅうちょ)する一因となっており,公共交通網の発達した都市部と未発達の地方に大きな格差を生んでいる。

返納などで免許がなくなり,外出が困難になれば健康寿命を縮めかねない。車を使わずとも移動できる都市計画は一朝一夕にはできず,自動運転などの先端技術が実用化して普及するまでにも時間が必要だ。

―― 産経新聞(2019年12月24日,東京朝刊)

これまで「少子高齢化対策」「過疎化対策」といえば,

  • なんとかして子供を増やす
  • 若者を田舎にひきつける
  • 外国から移民を受け入れる

といった意見が主流で,高度インフラ投資によって

  • 少子高齢化・過疎化が進んでもやっていける地域をつくる

という考え方はほとんど無視されてきた(事実,民主党は「コンクリートから人へ」を掲げて政権交代を実現した)。

それゆえ,スマートシティ化どころか必要なバリアフリー化すら遅れている地域も多い。障害者インターナショナル(DPI)日本会議が提出したバリアフリー法改正に関する要望(2017年12月)では,改善してほしい13課題のうち「地方のバリアフリー整備」が最重要課題5項目のひとつに設定されている。

最重要課題5項目
地方のバリアフリー整備
当事者評価の仕組み
小規模店舗のバリアフリー化

駅ホームの安全向上と単独乗降
(ホームドア,段差・すき間解消)
避難所としての学校のバリアフリー化

すなわち,上記のツイート例は「過疎化が進むから投資をしない」というミクロの視点に基づいており,「投資をしないから過疎化が進む」というマクロの視点が欠落しているのである。これは全体-個別の誤謬に他ならない。

B:供給面

スマートシティの需要は地方ほど高くなるにも関わらず,日本での議論は(前述の大阪市も含め)都市部に集中している。

なんで都市部でばっかりやってるんだ!地方こそ必要なんじゃないのか!

この理由は供給能力格差である。地方には需要があっても,それを供給するための予算がない。一方,都市部の場合,(仮に政府が何もしなかったとしても)民間企業や(予算規模の大きい)自治体が主導して通信インフラ整備やバリアフリー化を進めることができる[1]

結果として,都市と地方の利便性格差はさらに拡大し,地方の過疎化は加速する。したがって,需要面のみならず供給面からみても政府は地方への公共事業を優先させるべきということになる。

  • 需要面:バリアフリー率が低く,劣悪な一般道の多い地方ほど需要がある
  • 供給面:インフラ整備で地方は都市部と競争できるような供給能力を獲得できる[2]

以上より,地方の少子高齢化・過疎化は公共事業削減の論拠ではなく,増額の論拠だ。減額を訴える人はミクロの視点とマクロの視点を混同している。

2.公共事業の政治経済学

最後に公共事業をマクロ経済的側面と政治的側面から考察する。結論からいえば,政治的側面については依然として課題が多い

① マクロ経済学的側面

第3章で述べた通り,マクロ経済学的には

デフレ対策として行う公共事業に「無駄な公共事業」は存在しない

という結論が導出される。このことは,公共事業が無駄かどうかの判定に経済状況が影響することを意味している。すなわち,同じ公共事業であっても,経済状況次第で無駄になったり無駄にならなかったりする

たとえば,都市建設において理想的なのは,

  • 失業者があふれていて,賃金水準が低い
  • 資金需要が弱く,金利が低い
  • 資材価格が安く,物価が高騰していない

という状況だ(デフレ経済)。

一方,

  • 雇用環境が逼迫しており,労働者獲得のために賃金水準を上げなければならない
  • 資金需要が強く,高金利でしか資金を調達できない
  • 資材価格が高く,物価が高騰している

という状況ならば,都市建設のコストは一気に膨れ上がる(インフレ過熱)。この結論は第2章で説明した政府支出の方向とも整合的である。

デフレ経済 インフレ過熱
原因 民間支出減少 民間支出増加
対策 政府支出拡張 政府支出削減

インフレ過熱時はコストが上昇するため,公共事業は「無駄」になりやすい。したがって,バブル期の公共事業を「無駄」と批判することには一定の正当性がある。

これまで日本政府はインフレ時に政府支出を拡大し,デフレ時に政府支出を削減してきた。これは,肥満のときに食事を増やし,栄養失調のときに「あのときの食べ過ぎが悪かった」と批判して食事を取り上げているのと同じだ。政府が民間と同じ方向に動いてしまっていることからもわかる通り,明確な経済失政である(全体-個別の誤謬)。

② 政治的側面:利益誘導の問題

しかし,公共事業の増額は政治的にそれほど容易ではない。

子育てのためとかそういう目的で税金を使うならいいけど,空港の拡張ってほとんどの国民に関係ないじゃん。一部の人たちのための利益誘導でしかない。

これが公共事業における最大のハードルと考えられる。結論からいえば,上記の指摘は間違っているわけではない。まず,第3章で述べた通り,減税・給付金であっても公共事業と同じ乗数効果が表れる(総需要は公共事業の方が大きくなる)。

この説明ならば,給付金であれ,公共事業であれ,乗数効果の合計(マクロ)は同じだが,消費の主体(ミクロ)には大きな偏りがある。

たとえば,新潟港の拡張工事を行った場合,乗数効果は新潟周辺ほど色濃く表れることが予想される。札幌や福岡の人たちはそれほど恩恵を受けないだろう。このように,地域間で差異が生じやすいため,公共事業が利益誘導と批判されやすく,また,政治汚職とも結びつきやすい。

なら,やはり公共事業よりも,全国民に恩恵のある減税や給付金の方がいいんじゃないか?

ただし,公共事業でインフラを整備しなければ,地方の過疎化を防ぐことも,東京一極集中を解消することもできなくなる。地域間格差を是正するには,特定の地域にインフラを建設することが必要になる。その意味において,公共事業は常に利益誘導となる。このように,「政治」という観点を含めると,減税・給付金よりも公共事業の方がよいとは必ずしも言えなくなる。

  • ※ なお,減税や給付金にも利益誘導としての側面がないわけではない。たとえば,軽減税率の適用対象には現在でも利益誘導との批判が多く存在している。また,生活保護バッシングにみられるよう,弱者への給付金としての性格が強いものであっても利益誘導と批判される場合がある。

③ 政治的側面:ナショナリズム

以上のような公共事業の政治・社会的側面については第4部で詳述するが,ここでひとつだけふれておきたいことがある。それは,

公共事業の実現にナショナリズムが大きく関係する

ということだ[3]。たとえば,遠く離れた港湾の拡張に国民が同意するのは,それが「自国のため」だからに他ならない。逆にナショナリズムが弱いほど,自身に無関係な地域での公共事業には不公平を感じるようになる。そうした社会では公共事業が叩かれやすく,減税や給付金が志向されるやすい。

なるほど!日本はナショナリズムが弱いから公共事業が叩かれるのか!

確かに,東京タワー完成で「世界一高い建造物ができた」と歓喜していた時代に比べれば,連帯感としてのナショナリズムが弱まっている可能性はある。ただし,全世界で見れば,日本のナショナリズムは依然として強いと考えられる

逆に,ナショナリズムの弱い国としては中東やアフリカなどの発展途上国が挙げられる。こうした国では公共事業をめぐって殺し合いになることも珍しくないその根本的な原因は民族や宗教がモザイク状に入り混じっており,一国のナショナリズムが十分に形成されていないことにある。

そんなことないだろ!発展途上国ではインフラ投資が次々と行われているぞ!ナショナリスティックな国だってたくさんある!

そのような国において共通しているのは独裁政権などの権威主義的な体制だ。インフラ投資が進むのは,強権的な政府が反発を押さえつけているからに過ぎない。

逆にいえば,発展途上国で独裁政権が多い理由は,

  • 特定地域へのインフラ建設
  • 特定集団への福祉

などが民主主義的に承認されないからだ。また,そうした国では内乱抑止のため,意識的にナショナリズムを高める教育が行われることが多い(公定ナショナリズム[4]

したがって,フセイン政権(バース党独裁)が崩壊したイラクで油田開発投資が遅れているのは当然の帰結といえる。彼らの帰属意識は国よりも民族・宗教の方に向いている。

過激派との戦闘が収束しても,イラクの油田開発投資は鈍化するという懸念が強まっている。宗派・民族の対立というイラクが抱える根本的な問題が改めて明らかになったからだ。

―― 日本経済新聞(2014年7月11日,朝刊)

その点,日本人の多くは帰属意識が国に向いている。実際,いくら反ナショナリズムを掲げる人でも「日本はダメだ」「日本は終わってる」と「日本」の範囲が明確であり,自らが日本人であることも疑わない。

一方,凄惨な虐殺となったルワンダ内戦(1994年)はフツ族とツチ族の争いという側面が強かったが,それは言い換えれば「同じルワンダ国民」という意識が希薄であったことを意味している。彼らの帰属意識が国ではなく民族にあったことがうかがえる。


公共事業の実行にはナショナリズムが大きな影響を与えるが,マクロ経済学ではこの点が一切考慮されていない。このような政治・社会的側面については第4部で詳述する。一方,続く第6章では全体-個別の誤謬に話を戻し,日本政府がどのような意思決定を行ってきたか確認する。

  • ^1需要不足以外にも,戦争,テロ,災害,その他急進的な政策(例:ジンバブエの白人強制退去)などによって急速に景気が変動することはある。しかし,「これまでのやり方が立ち行かなくなった」という類の理由で急速に景気が変動することはあり得ない。
  • ^22002年に『底辺への競争』(アラン・トネルソン博士(米経済産業評議会研究員)・著)がベストセラーになり,一般に知られるようになった。なお,「底辺への競争」という言葉自体は戦前から使われている。