Theme 3:新自由主義の問題点
第9章 アメリカ主導の再設計
新自由主義的な政策は1980年代から採用され始め,2000年代にピークを迎え,リーマンショック以降に大きく転換することとなる。
前章で述べた通り,当初,新自由主義は
現在の状況に政府が介入するよりは,しない方がいい
という消極的なもの(反ケインズ政策)であったが,次第に
現在の状況を改善するには,規制(既存の政府介入)を取り除いた方がいい
という積極的なものへと変わっていった(再設計市場主義)。
しかし,再設計市場主義には
- 政府介入を否定するあまり,強い政府介入を要請する
- 利益誘導を否定するあまり,新たな利益誘導を生み出す
という矛盾がある。第9~11章では,それがどのような形で噴出したのかを概観する。
1.再設計市場主義の類型
まず,再設計市場主義には2つの精度バランスが作用することを説明する。仮に異なる2つの制度AとBが存在し,制度Aに合わせた再設計が進められるとき,少なくとも以下のどちらかが必要になる。
- Aの力が強まる
- Bの力が弱まる
ほとんどの場合,両方の要素が組み合わさっているが,どちらのウェイトが大きいかには違いがある。以下はそれを簡便的にまとめたものだ。
タイプ1:Aの力が強まる(既得権益批判)
制度Aの力が強まった場合,それに合わせた制度Bの再設計が迫られる場合がある。第4部で詳述するが,「制度Aの力が強まる」とは,民主主義社会の場合,
多くの人が制度Aを支持し,制度Bを批判する
という形をとる。
したがって,このタイプの再設計は「敵を叩く」という構図で進められる場合が多い(このとき,制度Bは「既得権益」「利益誘導」「守旧派」などと呼ばれる)。第10章で説明する郵政民営化はこの典型例といえるだろう。
タイプ2:Bの力が弱まる(ショックドクトリン)
制度Bの力が弱まった場合,それに便乗した形で再設計が進められる場合がある。この手法はショックドクトリンという名前で知られている。
- ショックドクトリン
- 惨事便乗型資本主義。戦争や災害の後に実施される過激な市場原理主義改革。
戦争や災害などで制度Bの抵抗力が減退すると,制度Aは容易に制度Bの再設計を主導することが可能になる。N.クライン氏の著書『ショックドクトリン』では,その例として
- イラク戦争(2003年3月)
- スマトラ沖地震(2004年12月)
- ハリケーン・カトリーナ(2005年8月)
などを挙げている。なお,イラク戦争については「敵を叩く」の構図も当てはまるため,両タイプの特徴がみられる。
以降では,この類型に従い,
- 現代グローバリゼーション
- 子ブッシュ政権
- 小泉政権(第10章)
について説明する。
2.現代グローバリゼーション再考
まず,第7章で説明した現代グローバリゼーションについて,再設計市場主義の観点からもう一度整理する。日米貿易摩擦や中南米債務危機の発端は日米・米墨の市場アクセスにあったため,(程度の差はあれ)双方に原因を見出すことができる。
日墨側原因 | 米側原因 | |
---|---|---|
日米貿易摩擦 | 過剰な輸出 | 過剰な輸入 |
中南米債務危機 | 過剰な海外資金依存 | 過剰な海外投資 |
すなわち,いずれの問題も
市場統合の深化
によって生じたが,アメリカ政府はこれが「不公正」にあたると解釈し,他国に「不公正の是正」を要求した。
アメリカの解釈 | 対応 | |
---|---|---|
日米貿易摩擦 | 日本市場の閉鎖性が原因 | 内需拡大要求・プラザ合意 |
中南米債務危機 | メキシコの債務不履行が原因 | ワシントンコンセンサス |
結局,日米墨は市場統合を選択したため,アメリカに合わせる形で制度統合を進められることとなった。これが現代グローバリゼーションの構図である。
① 制度統合と政治力
前章で示した通り,制度統合は政治問題である。その点を考慮すれば,外交官にいくら交渉力があったとしても,日本やメキシコの制度をアメリカに呑ませることは難しいだろう。なぜなら,日本やメキシコはアメリカに対して経済的・軍事的・政治的に従属しているからだ。両国ができるのは,アメリカ主導の制度統合に抵抗することぐらいである。
結局,市場統合はパワーゲームとなるため,グローバル化するほど政治の重要性は高まることになる。アメリカ主導で再設計が進められるのは,究極的には「アメリカが強いから」にほかならない。
ということは,世界がグローバル化したことによって,国家の政治の影響力は後退するどころか,より重要になったのです。そして世界経済は,市場というルールで行われる企業間の経済競争ではなく,市場のルールの設定を巡る国家間の政治抗争の場となったのです。これまで,「グローバル化によって国家の力が小さくなる」という話をさんざん聞かされてきたと思いますが,その通説は全くの間違いだったということです。
―― 中野剛志『反・自由貿易論』
なお,再設計市場主義のタイプでいえば,
- 日米貿易摩擦:既得権益批判
- メキシコ債務危機:ショックドクトリン
という側面が強い。
メキシコがIMFの要求に従ったのは,債務不履行によって発言力を失っていたからだ。この点は戦争や災害で抵抗力を失った国が行われる制度改造と本質的に変わらない。一方,貿易摩擦下の日本は抵抗力を削がれたわけではなかったものの,アメリカ議会を中心とした激しいジャパンバッシングによって,日本側が譲歩せざるを得ない状況となった。
② グローバル化と学派
経済学の学派との関係でいえば,グローバル化については,
- 新自由主義経済学:どちらかといえば好意的
- ケインズ経済学:どちらかといえば慎重
という場合が多い。
この傾向は,おそらく
- 新自由主義経済学:ルールに基づく政策を重視
- ケインズ経済学:政府の裁量的な政策を重視
という性質に対応しているものと考えられる。
新自由主義経済学
市場統合(制度統合)の本質からして,グローバル化が進むほど,各国は国際ルール(市場ルール)に縛られるようになるが,これは新自由主義経済学の考え方とも符合する。実際,新自由主義的な論調で知られるジャーナリストのT.フリードマンは国際ルールが各国の政治家を縛る「黄金の拘束服」になるとして肯定的に描いている。
なお,この問題を前述の政治力の議論と組み合わせた場合,ひとつの重要な事実が浮かび上がる。それは,新自由主義経済学の考え方が
ルールを設計する側(強者)にとって都合がよい
ということだ。E.へライナー教授(ワーテルロー大学)は,新自由主義経済学が世界を席巻した理由のひとつとして,覇権構築に有利だと考えたアメリカが積極的に流布したことを挙げている。
ケインズ経済学およびケインズの理論
一方,自国のための裁量的政策が制限されることから,ケインズ経済学はこのことに懐疑的と考えられる[1]。
なお,ケインズ自身についていえば,世界的な市場統合・制度統合の可能性を否定しており,グローバル化に対して強い警戒感を示していた。ケインズは『国家的自給(National Self-sufficiency)』という論文のなかで市場統合を「経済帝国主義」と呼んでおり,グローバル化と自由主義の結合を強く批判している。
私たち自身をとりまく大戦後の劣悪な国際主義的・個人主義的な資本主義は成功ではない。それは知的でもなければ美しくもなく,公正でもなければ道徳的でもない――そして,善でもない。すなわち,私たちはそのような資本主義を好まないし,軽蔑し始めている。
―― J.M.ケインズ『The New Statesman and Nation』より『National Self-sufficiency』
なお,グローバル化には両学派とも警戒する重要な問題がある。それは,
市場が統合されるほど,危機も伝播しやすくなる
ということだ。第11章で述べるよう,現代グローバリゼーションは金融危機の国際的拡散(リーマンショック)という形で終焉を迎えることになる。
3.オーナーシップ社会
以降では,アメリカの再設計市場主義的政策について説明する。アメリカではレーガン政権から子ブッシュ政権にかけて,新自由主義的な政策が進められてきた。第6章で述べた通り,そこには民主党のクリントン政権も含まれる。
1981年1月 | レーガン政権成立(共和党) |
1989年1月 | 親ブッシュ政権成立(共和党) |
1993年1月 | クリントン政権成立(民主党) |
2001年1月 | 子ブッシュ政権成立(共和党) |
2009年1月 | オバマ政権成立(民主党) |
前述の通り,新自由主義は当初の介入否定から障害除去へと傾斜し,再設計市場主義としての性格を強めていった。そのピークが子ブッシュ政権の掲げたオーナーシップ社会である。これは今まで社会政策の対象となっていた分野(年金,医療,教育,住宅など)の市場化を目指したもので,これまで以上に「既存制度の再設計」という色彩を帯びていた。
① 教育の民営化
子ブッシュ政権は教育バウチャー制度の導入など,市場原理を取り入れた教育政策を掲げていた。別ページで述べるよう,教育分野への市場原理導入には様々な問題があり,アメリカでも根強い反対論が存在する。それにもかかわらず,ニューオリンズ市(ルイジアナ州)では急激な教育の民営化が進められた。クラインはこれがショックドクトリンに該当すると指摘している。事実,この改革の直前にはハリケーン・カトリーナによる大災害があった。
2003年5月 | Act 5号可決(州議会):特別学区(RSD)設立 |
2005年8月 | 非常事態宣言(ハリケーン・カトリーナ) |
2005年11月 | Act 35号可決(州議会) |
2006年1月 | 教育委員会(OPSB)が直轄管理学校の教職員を全員解雇 |
ニューオリンズ市には,実質的に,
- 特別学区(RSD):教育局の下にある成績不振学校を管理する団体
- オリンズ教育委員会(OPSB):従来の教育委員会
の2つの教育委員会があった。なお,カトリーナで特別学区の事務局は水没したが,オリンズ教育委員会の方は被害を免れている。それにもかかわらず,Act 35号によって,大半の学校が特別学区へと移管された。これは特別学区が学校の民間運営(チャータースクール)を重視しており,ブッシュ政権から2,100万ドルの予算がつけられるなど,多くの支援を受けていたことに起因する。
特別学区主導で進んだ学校再編により,多くの学校は民営に切り替えられた。2006年にはオリンズ教育委員会の直轄する学校が5校となり,1月にはその教職員が全員解雇された。約4,700人の大リストラが災害復興中に行われたことになる(短期-長期の誤謬)。
すなわち,カトリーナによってもたらされた「抵抗勢力の弱体化」は再設計市場主義を誘発することとなった。実際,新自由主義のイデオローグであるM.フリードマンはこれを改革の「好機」と表現している。
ニューオリンズの多くの学校は廃墟と化し,通学していた子供たちの家も同様の状態となっている。今,その子供たちは全国に散らばっている。これは悲劇だ。同時に,教育システムを抜本的に改革する好機でもある。
―― ウォール・ストリート・ジャーナル(2015年12月5日)よりM.フリードマン寄稿
しかし,これらの教育改革は災害復興とほとんど関係がない。つまり,もともと教育改革を志向していた者が制度の破壊を機に,災害復興を利用する形で再設計を進めたのである。
こうして変貌したニューオリンズを,『ニューヨーク・タイムズ』紙は「今や全米でもちゅうもくすべきチャーター・スクール採用拡大の実験場」とし,フリードマン経済学を信奉するシンクタンクのアメリカン・エンタープライズ研究所は「ルイジアナ州の教育改革者が長年やろうとしてできなかったことを<中略>ハリケーン・カトリーナは一日で成し遂げた」と嬉々とした口調で報告した。(中略)
壊滅的な出来事が発生した直後,災害処理をまたとない市場チャンスと捉え,公共領域にいっせいに群がるこのような襲撃的行為を,私は「惨事便乗型資本主義(注:ショックドクトリン)」と呼ぶことにした。
―― N.クライン『ショック・ドクトリン(上)』
② 住宅金融バブル
また,子ブッシュ政権の住宅政策はリーマンショックの遠因になった可能性が指摘されている。2004年度の大統領予算案では住宅補助プログラムのうち,賃貸住宅支援を縮小が示唆される一方,低所得者向けの住宅取得(オーナーシップ)が強調されていた。そこに,
- 金融規制の緩和
- FRB(米連邦制度準備理事会)の低金利政策
などが重なり,サブプライムローンを中心とした住宅金融バブルが醸成されていった。
もっとも,この問題は政府による強権的な改革ではなく,
政府が警告を発したり,規制を強化したりしなかった
という性格ものであるため,再設計市場主義の問題というわけではない。
しかし,市場に対する強い信任が引き起こしたという点で,新自由主義経済学に疑念の眼を向けることとなった。また,上記の金融規制の緩和,および,リーマンショック後の金融機関救済をめぐっては,金融機関によるレントシーキングの疑いが指摘されている。このことは第11章で再び説明する。
4.アメリカ新保守主義(ネオコン)
子ブッシュ政権で行われた究極の再設計市場主義がイラク戦争である。この戦争はネオコン(米国新保守主義)と呼ばれる勢力が中心となって実行された。
① 戦後イラクの経済改革
まず,敗戦後のイラクでどのような再設計が行われたのかを概観する。戦後イラクはCPA(連合国暫定当局)のP.ブレマー代表によって統治された。これは,戦後日本におけるD.マッカーサーの立ち位置に近い。
統治機構 | 最高責任者 | |
---|---|---|
戦後日本 | GHQ(連合国軍最高司令部) | D.マッカーサー |
戦後イラク | CPA(連合国暫定当局) | P.ブレマー |
ブレマー代表はCPAのトップダウンで次々と市場主義的な改革を打ち出した。以下はその一部である。
- 脱バース化:公務員の大量解雇(第1条)
- 国営企業約200社の民営化(第39条)
- 外資制限の撤廃(第39条)
- 貿易自由化(第39条)
- 法人税等の引き下げ(第40条)
- 新通貨の発行(第43条)
J.スティグリッツ教授(コロンビア大学)は,イラクでの市場主義的改革が旧ソ連からロシアに移行するときの急速な市場化よりもはるかに過激であったと指摘している。
A:史上最大の短期-長期の誤謬
注目すべきは,これらの改革が戦後数か月の間に行われたということである。
2003年10月に公表された国連と世界銀行の共同調査報告によれば,戦後イラクの失業率は50%を超えていると推定され,食糧不足と栄養失調が蔓延している状態にあった。また,その報告では「食糧配給などがそれらを防いでいる」とされていたが,2003年9月に行われた国防総省の会議では,
- 公務員のリストラ
- 食糧配給の廃止
- 公的医療の民営化
などが話し合われた。
これらを焼け野原のイラクで行えば,状況がさらに悪化するであろうことは誰もが容易に想像できる(短期-長期の誤謬)。このことからもわかる通り,CPAの目的はイラクの復興ではなくイラクの再設計にあった。
B:史上最大のレントシーキング
戦後,欧米企業が次々とイラクへの進出計画を発表した(マクドナルド,GM,HSBCなど)。外資規制がほとんど撤廃されたため,戦争で疲弊したイラク企業は世界最大規模の欧米企業との「公正な」競争にさらされ,次々と淘汰されていった。
確かに現地企業は淘汰されたかもしれないけど,欧米の企業がイラク経済を復興してくれるなら,それはいいことなんじゃないの?現地の雇用だって拡大するわけだし。
しかし,N.クライン氏は欧米企業の進出が経済復興や雇用拡大にほとんど貢献しなかったと指摘している。
復興の実態は,アメリカ国際開発庁が(イラク国内ではなく)テキサス州やヴァージニア州の企業に受注を行い,現地ではそれを組み立てるだけであった。また,その作業もイラク国外の外国人労働者が行っていたとされる。CPAのスタッフが1,500人だったのに対し,アメリカのハリバートン社(大手建設会社)は5万人の社員をイラクに送り込んでおり,イラク国民は蚊帳の外に置かれていた。
占領当局が繰り返し強調したように,それは「アメリカ人からイラク人への贈り物」であり,イラク人は渡されたプレゼントの包みを開けるだけでいいというわけだった。取り付け作業には,現地の低賃金労働者すら必要とされなかった。
―― N.クライン『ショック・ドクトリン(下)』
インフラ建設のみならず,戦後イラクでは多くのことが民間企業に委任された。そこには公的色彩の強い軍事や教育も含まれ,さらには「イラクに民主主義を広める」という作業すら民間企業が行うこととなった。
- 新通貨の印刷:英デ・ラ・ルー社
- 請負業者の監視:米CH2Mヒル社,米パーソンズ社
- 軍や警察の訓練:米ダインコープ社
- 教育カリキュラムの作成:米クリエイティブ・アソシエイツ社
- 民主主義の普及:リサーチ・トライアングル・インスティチュート社
確かにイラク国民は蚊帳の外に置かれたかもしれないけど,欧米の大企業が電力や水道を整備し,病院を建設し,治安警備を強化すれば,それはそれで国民の利益になるんじゃないの?
しかし,欧米企業の行動は復興よりもレントシーキングへと向かった。前述の通り,復興を担ったのはイラク政府でもCPAでもなく,イラク国外の民間企業だ。そして,民間企業が最優先するの利益である。戦後イラクのように,公的規制がほとんど存在しない環境であれば,民間企業が外国の公共性よりも自社の利益を優先するのは当然の帰結であった。
- ※ 日本でも東京電力,JRなどの民間企業がインフラを担っているが,政府の規制によって公共性に一定の責任を持つことが定められている。
もっとも,このとき行われたレントシーキングとは,ほとんど詐欺に近いものであった。たとえば,2006年6月,アメリカのB.L.ドーガン上院議員は議会で,民間企業によって構築された複雑な下請システムの問題を指摘し,受注代金は中抜きなどで消えてしまい,想定通りの工事が行われてないと主張した。
実際,パーソンズ社の受注した142ヵ所の病院建設(1億8,600万ドル)が6ヵ所しか完成していないなど,その杜撰さはアメリカ国内ですら問題視されるようになった。クラインが2006年12月に行った取材によれば,その時点でアメリカ監査官事務所が進めていた詐欺容疑捜査(アメリカ企業がイラクで行ったもの)は87件に上っていた。
② ネオコン(アメリカ新保守主義)
このように,イラクでは絵に描いたような過激な再設計市場主義的政策が実行されていったのである。
イラク戦争の真の目的が再設計だったって?バカバカしい。そんなの根拠のない陰謀論だ!
このように思う人もいるかもしれないが,戦争の目的が再設計であったことは公式の開戦理由に記されている。イラク戦争の開戦目的は,
- ①大量破壊兵器の脅威をなくす
- ②テロリスト支援を防止する
- ③イラクを圧政から解放する
であるが,このうち③は「イラクの制度を再設計する」という以外に解釈できないはずだ。
- ※ なお,米国は後に,イラクに大量破壊兵器がなかったことを公式に認めた。また,直前にはタリバンによる同時多発テロがあったが,それらがイラクとはまったく関係ないことは開戦前から政府も認めていた。
この「再設計」を主導したのが,ネオコン(米国新保守主義)と呼ばれる勢力である。ネオコンは子ブッシュ政権で政界の主流に上り詰めた。
- ネオコン
- ネオコンサバティブ(新保守主義)の略。自由や平等といった理念の拡張を目指す考え方。
- ※ レーガン政権やサッチャー政権など1980年代の右派(保守派)復活を指して「新保守主義(ネオコンサバティブ)」と呼ぶ場合もある。しかし,アメリカで「ネオコン」といえば通常は子ブッシュ政権で主流化したアメリカ新保守主義のことを指す。
ネオコンの最大の特徴は自由や平等といった理念の拡張にある。こう聞くと,
自由や平等を重視することの何がダメなんだ!
と思うかもしれないが,ここでいう自由や平等とは,あくまで「アメリカの考える自由や平等」でしかない。たとえば,アメリカでは銃の保有が「自由」にあたるかたびたび議論されているが,日本で銃規制が自由の侵害であると考える人はほとんどいないだろう。
第4部 Part 1で詳述するが,市場制度にとどまらず,自由,平等,民主主義といった概念はその国の文化や慣習によって解釈が大きく異なる。これに対し,ネオコンは
アメリカの自由(市場経済)や平等(民主主義)を世界に広めれば,素晴らしい世界になるに違いない!
と考えるため,文化や慣習と無関係な再設計を志向する。この思想は,
現実から理論を導き出すのではなく,理論に合わせて現実を改造する
という点で,市場理論によって制度改造を正当化する再設計市場主義と本質的に同じだ。
子ブッシュ政権の閣僚のうち,
- チェイニー副大統領
- ラムズフェルド国防長官
- ウォルフォウィッツ国防副長官
- リビー副大統領首席補佐官
はアメリカ新世紀プロジェクト(PNAC,アメリカ最大のネオコン組織)のメンバーであった。こうした思想が反映された結果,父ブッシュ政権の湾岸戦争ではフセイン政権が打倒されなかったのに対し,子ブッシュ政権のイラク戦争では公式に再設計が目的とされていた。
一方ブッシュ・ジュニアは,イラクに対して父とは対照的な方針をとった。2003年,ブッシュ・ジュニアはテロとの戦いや中東の民主化といった十字軍的な大義を掲げて,イラク攻撃を仕掛けたのである。イラク侵攻は,中東の勢力均衡よりも,民主主義という価値の実現を重視する理想主義の観点から,正当化され,実行された。
―― 中野剛志『世界を戦争に導くグローバリズム 』
③ 非民主的体制の構築
チェイニー副大統領が開戦直前に「米軍は解放者として歓迎されるだろう」と述べたことからもわかるよう,ブッシュ政権は再設計に楽観的であった。しかし,現実には反米テロなどによって戦後統治は泥沼化した。
このとき,いくつかの地域では既に自主的な選挙が行われていたが,ブレマー代表はこれらを無効としたうえ,イラク統治評議会の議員を選挙ではなく任命によって選定した。
この時点でもイラク国民は,国政選挙を実施して市民の多数決で選ばれた政府に検量句を委譲するという約束をアメリカ政府が守るものと期待していた。だがブレマーは地方選挙の中止を命じたあと,2013年11月に帰国してホワイトハウスでいくつかの秘密会議に出席し,バグダッドに戻ってくると国政選挙の白紙撤回を発表した。イラク発の「主権」政府は,国民の選挙ではなく任命によって決められるというのだ。
―― N.クライン『ショックドクトリン(下)』
アメリカはイラクに民主主義を持ち込むんじゃなかったのか!言ってることと違うじゃないか!
イラクでCPAによる中央集権的かつ非民主的な統治が続けられた理由としては,主に以下の3つが挙げられている。
- 理由1:国民の意見が割れており,決定に時間がかかった
- 理由2:公務員増加(反市場主義)を望む世論が大きかった
- 理由3:選挙でイスラム主義勢力の台頭が予想されたこと
理由1:意見の不一致
これはブレマー代表自身がブッシュ大統領にあてたメールのなかで記していた理由だ。イラク統治評議会では議論が紛糾し,ほとんど何も決められなかったとされている。もっとも,評議会は,
- スンニ派アラブ人
- シーア派アラブ人
- クルド人
- アッシリア人(キリスト教)
- トルクメン人
から構成されており,さらにそのなかにも強硬派と穏健派が混在していたため,議論に時間がかかることは明白であった。
確かに,多民族・多宗教の国に民主主義を導入すれば,意思決定のスピードは遅くなるだろう。しかし,これが非民主的統治の理由になるならば,全く同じロジックで,フセイン政権下の非民主的なイラクも肯定されることになる。すなわち,ネオコンの想定はこの時点で既に破綻していたことになる。
理由2:反市場的世論
共和党国際研究所の調査によれば,戦後のイラク国民は
- 公務員の雇用増加
を望んでいた。つまり,世論はCPAの目指す再設計方針と真逆の体制を志向していた。
これはアメリカの「イラクに自由と民主主義を持ち込む」という目標が達成できないことを意味していた。国営企業中心の体制は「アメリカの考える自由」に反する(実際,ブレマー代表はイラクの旧体制をスターリン主義経済と呼んで批判していた)。
しかし,多くのイラク国民は「アメリカの考える自由」など望んでいなかった。それゆえ,アメリカの理念の普及を目指すCPAは民主主義を制限する形で「自由」を強制しようとしたのである。
理由3:イスラム主義の台頭
バース党独裁によって抑えられていたイラクの宗派対立は,CPAが自由化を進めるにつれ,激化の一途をたどっていった。オックスフォードリサーチの調査によれば,民主制を望む声は2005年11月に過半数を超えていたが,2007年3月には「宗教国家」および「強いリーダー」を望む意見が増加した。
また,イラク国民の多くは世俗国家よりも宗教国家に親和的であったため,仮に民主的な選挙が行われたとしても,そこでイスラム主義政党が台頭することは明白であった。
しかし,イスラム主義はアメリカの考える自由や平等に反する。実際,アメリカはこれまでも民主的なイスラム主義政権より,非民主的な世俗的政権を支援してきた。
国 | 年代 | 政権 | 体制 | 米国の対応 |
---|---|---|---|---|
イラン | 1925-1979年 | パフレヴィー朝 | 君主制(非民主的)・世俗的 | 支援 |
1979年- | イスラム共和政 | 民主的・イスラム | 敵対 | |
エジプト | 1981-2011年 | ムバラク政権 | 独裁(非民主的)・世俗的 | 支援 |
2012-2013年 | モルシ―政権 | 民主的・イスラム | 早期選挙要求 | |
2018年- | シシ政権 | 軍事政権(非民主的)・世俗的 | クーデター容認 |
アメリカ国民にとって,
- 国営企業中心の経済
- イスラム主義の政権
という体制は不自由・不平等に映るかもしれない。しかし,それはあくまでアメリカの価値観であり,イラクでは上記体制が民主的に支持されていた。
そうしたなかでネオコンが自分たちの価値観を普及させる(押し付ける)ためには,民主主義を制限し,トップダウンの政治を行うしかない。それゆえ
- 政府介入を否定するあまり,強い政府介入を要請する
- 利益誘導を否定するあまり,新たな利益誘導を生み出す
という再設計市場主義の特徴がそのまま表れる結果となった。
第8章では,再設計市場主義によって市場制度をめぐる政治問題が引き起こされること述べたが,イラク戦争は市場制度のみならず,政治制度や社会制度までもが再設計の対象となった。しかし,一定の枠組(制度)がなければ市場が機能しないように,政治や社会も一定の枠組を必要とする。
自由や多様性といった概念を真っ向から否定する人は少ないだろうが,あらゆる自由や多様性を認めれば,究極的には
- 自由を否定する自由も認めるのか
- 多様性を否認する多様性も認めるのか
という議論に行きつく。
これに対し,多くの人は
そんなのただの言葉遊びだ!常識で考えればわかるだろ!
と思うかもしれない。しかし,それは言い換えれば,
自由や多様性はその国の常識という枠組の中でしか機能しない
ということを,暗に認めているということだ(ここでいう常識とは文化や慣習などである)。アメリカ主導の再設計(現代グローバリゼーション)はアメリカ的な価値観を前提としていたため,子ブッシュ政権以降,
- 反市場主義
- 反グローバル
- 反アメリカ主導の再設計
という形で問題が顕在化していった。第11章で述べるよう,この傾向はリーマンショックでアメリカ経済が傾いたことにより,急激に強まっていくこととなる。