第3部 - 2:政府失政と3つの誤謬(短期-長期の誤謬)

Theme 3:新自由主義の問題点

10章 小泉構造改革

日本における再設計市場主義は小泉構造改革でピークを迎える。

  • ※1 上記の景気区分は内閣府が公表する景気循環に対応したものである。
  • ※2 小泉構造改革は第1次安倍政権,福田政権にまで引き継がれた。

Part 1で用いたマクロ経済政策の枠組みで評価すれば,金融は緩和しているが(量的緩和),財政は緊縮させており(公共事業削減),デフレ対策として不適当である

  • ※ ただし,いくつかの前提では「財政政策よりも金融政策の方が効果的」という結論も引き出せるため,必ずしもデフレ対策と矛盾しているわけではない。

しかし,これから説明するよう,小泉政権の公共事業削減は手段ではなく目的であった。構造改革という目的が先にあり,それを正当化するために新自由主義経済学の理論が持ち込まれたのである。このことを説明する前に,まずは小泉構造改革の流れを確認する。

1.小泉構造改革の流れ

小泉政権については「強いリーダーシップ」「改革を断行した」というイメージをもたれることが多い。内山融教授(東京大学)は以下の2つの特徴があったことを指摘している。

第一は,印象的な「ワンフレーズ」の活用,善悪の対立構図を強調する政治の「劇場」化などを通じて,有権者の支持をつかもうとする側面である。(中略)

第二は,与党や政府内の反対を押し切ってトップダウンの政策決定を行い,さまざまな構造改革を実行した側面である。「官邸主導」「首相支配」といった言葉も最近用いられるようになってきたが,和を重んじたかつての政治手法から見れば大きく逸脱している。

―― 内山融『小泉政権』

上記,「第二」の特徴は,小泉政権が

  • 内閣(政府)
  • 与党(自民党)
  • 官僚

のうち,内閣の権限を強化し,与党と官僚の政策関与を抑えたことに起因する。特に重要な点は,予算方針の決定権が官僚機構(財務省)から経済財政諮問会議へと移されたことだ。

経済財政諮問会議
内閣府に設置された経済・財政を審議する会議。首相,経済閣僚5名,日銀総裁,学者2名,財界人2名の計11名から構成される。

この変化について,

官僚主導から政治主導へと変わったということか!それはよいことだ!

と考えた人もいるかもしれないが,結論からいえば,この体制で排除が明確になったのは官僚よりも与党の方であった。

① 政官スクラム体制

このことを理解するためには,まず小泉構造改革以前の政治構造を知る必要がある。たとえば,以下のような認識は誤解といっていい。

日本は官僚主導の国で政治家はお飾りみたいなもの。民意も反映されず,勝手な政治が行われてきた。これからは政治主導に変えていかなければならない。

村松岐夫教授(京都大学)など多くの学者が指摘するよう,日本が官僚主導だった時期はほとんどない。むしろ要点は,

政府に対して自民党が強い影響力をもっていたこと

にある。

日本ってほとんど自民党政権だったわけでしょ?なら政府と自民党って一緒じゃないの?

日本の政治の特徴は政府に属していない自民党議員が影響力を行使してきたことにある。実際,報道などでは首相や財相,外相といった閣僚だけではなく,

  • 幹事長
  • 政調会長(政務調査会)
  • 総務会長(総務会)

といった(政府外の)自民党執行部の動向も注目されるが,それは彼らが政策決定に深く関与するためだ。

その最たるものが党の事前審査制度である。官僚の提出した法案や予算案は閣議決定の前に政務調査会の了承と総務会の合意(全会一致)を得なければならない。これは主要先進国には見られない日本独自のシステムといえる。

確かに,日本の官僚は政策執行のみならず政策立案や利害調整を行うという点で政治的影響力が強い。ただし,官僚が利害調整に動くのは,その法案を成立させるために自民党との摺り合わせが不可欠だったからだ。J.M.ラムザイヤー教授(ハーバード大学)などは自民党の総務会などが有効な「拒否権プレイヤー」として機能していたことを指摘している[1]

また,利害調整プロセスのなかで,政治家は官僚の政策立案に介入するようになる。このうち特定分野で強い影響力を及ぼす議員は族議員と呼ばれ,バブル崩壊以降はその利益誘導的な手法が問題視されるようになった。仮に日本が官僚主導の国であったというのなら,政治家の利益誘導が問題視されることはなかっただろう。

  • ※ この構造は必ずしも財界のみが当てはまるわけではない。障害者団体,医師会,部落団体,労働組合,特定の地域など,あらゆる団体が該当する。

族議員という言葉は否定的な意味合いで使われやすいが,実態は一長一短といえる。第4部 Part 1で述べるよう,むしろ現在は族議員排除の弊害が強く表れていると考えられる。

メリット デメリット
対民間 無視されがちな一部の民間の要望が反映されやすい。 利益誘導が行われる。既得権益がつくられる。
対官僚 官僚に丸め込まれない(専門知識を持つ議員)。 大臣の官僚に対する権限が弱まる。
対政治 他の業界団体などとの政治的調整が進む。 政策プロセスが不透明になる。

このように,長らく日本の政治を動かしてきたのは官僚・自民党複合体であった。村松教授はこのような構造を政官スクラム型リーダーシップと呼んでいる。

② 小泉政権以前の政治改革

政官スクラム体制は以下のように3つの段階を経て解体されていった。

期間 時期
小泉構造改革以前 93年6月-01年4月 八党連立成立以降
小泉構造改革前期 01年4月-05年9月 小泉・竹中体制
小泉構造改革後期 05年9月-08年9月 郵政選挙以降
  • ※ 前述の通り,小泉構造改革後期には第1次安倍政権,福田政権も含まれている。

政官スクラム体制は小泉構造改革で大幅に転換されることになるが,村松教授はそれ以前から既に体制解体が始まっていたと指摘する。1990年代には,

  • グローバル化
  • バブル崩壊
  • 政治家や官僚によるスキャンダル

などによって,政官スクラム体制の不透明性・非効率性に批判が集まるようになった。

八党連立政権の成立や橋本六大改革はそうした世論を反映したものである。小渕政権などではそのスピードが緩まったものの,基本的には政官スクラム解体に向けた改革の流れのなかにあった(もっとも,それらの改革はマクロ経済対策になるわけではない)。

たとえば,前述のように,経済財政諮問会議が予算方針を決めるようになったのは小泉構造改革前期のことだ。しかし,会議自体は橋本政権で設置され,森政権から運用されてきた。設置理由も内閣の権限強化(政官スクラム体制の転換)を目的としたものである。

このように,小泉構造改革以前から体制の転換は進められていった。小泉政権はその流れを加速させただけであり,突然改革がもたらされたというわけではない(ただし,後述するよう,小泉政権で始まったように演じられた)。

③ 小泉政権前期:小泉・竹中体制

経済財政諮問会議は設置当初から強い政策方針決定力を持っていたわけではない。森政権の宮澤財相は「茶飲み話でもしてくれればよい」という趣旨の発言をしたとされる[2]

しかし,小泉政権に代わって以降,会議の性格は大きく変化する。最大の特徴は,小泉首相が官僚や自民党と利害関係の薄い竹中平蔵経財相(当時は慶応大学教授,民間からの大臣登用)に会議を取り仕切らせたことだ。その具体的な運営プロセスは,

  • ①竹中経財相+民間議員4人(学者・財界人)が民間議員ペーパーを作成
  • ②それをもとに関係閣僚が意見・修正
  • ③首相が承認し,そのまま閣議で決定

というものであって,少数トップダウン型の政策決定プロセスが構築されていった。これを受けて,予算方針に対する官僚や族議員の影響力は大きく低下した

構造 特徴
小泉政権以前 ボトムアップ 財務省が各省庁の要望を積み上げる形で方針を決定
小泉政権以降 トップダウン 経済財政諮問会議が「骨太の方針」で予算の大枠を規定

これが「強いリーダーシップ」「民間主導」「改革重視」というイメージで語られる小泉・竹中体制の構図である。

当然ながら,この手法は各省庁や党内から「政治的調整を無視している」という批判を受けた。しかし,小泉首相が「自民党をぶっ壊す」というフレーズを多用したよう,内閣は(特に自民党との)対立姿勢を鮮明にしていった。以上が小泉構造改革前期にあたる。

④ 小泉政権後期:郵政選挙

内閣と自民党の対立は第44回衆院選(2005年9月)でピークを迎える。この選挙は郵政民営化の是非が争点となったため,郵政選挙と呼ばれた。

小泉政権といえば郵政民営化のイメージが強い。しかし,小泉政権で行われた2つの民営化は,当初想定されていたほど過激なものではなかった。

当初想定 結果
道路公団 完全民営化・新規建設凍結 分割民営化・整備区画建設
郵政 郵貯・簡保の廃止 公社を4つの事業会社に再編

加えて,郵政については橋本六大改革で郵政省が公社化されたばかりであった。したがって,まだ何ら検証が済んでいないにもかかわらず,コストをかけてまでそれをさらに民営化することが本当に「残された大きな改革」[3]なのか疑問視する声も大きかった。実際,郵政公社の生田正治総裁(民間からの起用)も公社がうまく機能していることを根拠に,民営化反対の意見を述べている。

もともと公社だったのが民営化して,しかもそれがマイルドな形に落ち着いたなら,郵政民営化って大した問題じゃないんじゃないの?

むしろ,郵政民営化の最大の問題は,それが「大した問題」ではなかったにも関わらず,

大規模な政治再編に利用されたこと

にあるといえる。

そもそも郵政民営化は国論を二分するような類の問題ではなかった。しかし,小泉政権はこの一点を争点にしたワンイシュー選挙によって構造改革に反対する勢力を粛正することに成功している。つまり,問題の本質は郵政民営化ではなく郵政選挙(既得権益批判タイプの再設計市場主義)にあったといえる。

郵政民営化は党内で反対意見が多かったものの,総務会(党内),衆議院を通過させることには成功している。しかし,参議院で否決され,小泉首相が解散総選挙を宣言した。

郵政選挙までの流れ
2005年6月28日 自民党総務会可決(多数決)
2005年7月5日 衆議院可決
2005年8月8日 参議院否決 ▸ 衆議院解散
2005年9月11日 郵政選挙(第44回衆院選)

あれ,さっき総務会は全会一致とか言ってなかった?

このとき,自民党総務会ははじめて全会一致の慣例を破り,直前で多数決による決議へと変更されている(自民党史上初)。そして,参院での法案反対を理由に衆議院を解散を行った(憲政史上初)。解散に反対した閣僚は罷免されており,郵政民営化に反対した議員には選挙における党の公認が付与されなかった(同じ選挙区に自民党から対立候補[4]が立てられた)。この前代未聞の選挙劇は,

  • 改革派の小泉内閣 vs 守旧派・族議員・既得権益

という形で描かれ,最終的に小泉内閣側の圧勝となった。

小泉内閣は党の掌握に成功したため,経財相には与謝野馨前政調会長が就任し,経済財政諮問会議は政府と党の調整をする会議へと変化していった(一方,竹中前経財相は郵政民営化相に就任)。これによって日本の政治構造は大幅に再設計されることとなった。

2.小泉政権の経済政策

ここまで政官スクラム体制解体の流れを確認したのは,政治構造の再設計こそが小泉政権のコアだからだ。その点を無視した論評は不当であると村松教授も指摘している。

不良債権処理も徹底せず,道路公団にも中途半端に手をつけただけである,郵政民営化でさえ同じことである,あるいは,これらを除けばその他の政治・政策には何ら関心を持たなかったという論評もある。(中略)しかし,これらの批判と政治の役割が,政府の正当性を確立し,政治秩序を維持することであるという視点を全く無視しているとすれば不当である。小泉首相のイニシアティブは,大臣を奮い立たせ,内閣の求心力を拡大し,政官スクラムに変わる新しいリーダーシップの可能性を示したように思われる。(中略)むしろ,彼は,自民党内の分権的システムを集権化することに関心があったというべきかもしれない。

―― 村松岐夫『政官スクラム型リーダーシップの崩壊』

これから述べる通り,小泉政権の経済政策は政官スクラム体制解体に付随してできたものである。一般に,政官スクラム体制の特徴としては,

  • 公的セクターが肥大化する
  • 公共事業による再配分が行われる
  • 市場原理が働きにくくなる

といったことが挙げられる。

しかし,これが「短所」になるのは,

  • 本来効率的な市場が,政府介入によって硬直化している
  • 本来不要な公共事業が,利益誘導のために実行されている

という前提に立った場合だ。

一方,

  • 市場にまかせすぎて,格差が野放しになっている

という前提ならば,上記の特徴はむしろ「長所」になり得る。

この構図をもとに,小泉政権の財政政策と金融政策について再考する。

① 公共事業削減

小泉政権については緊縮財政の政権であったという指摘が存在する。

小泉竹中体制ではプライマリーバランス目標が導入され,熾烈な緊縮財政が行われた。日本のデフレ不況はこれでさらに悪化することとなった。

確かに,小泉首相は総裁選で「国債発行を30兆円に抑える」と公約しており,10%の公共事業削減を予算に盛り込むなど[5],大胆な緊縮策を提示している。しかし,その本質は財政再建ではなく,政官スクラム体制の解体にあったと考えられる。

たとえば,税制に関しては

  • 増税:定率減税廃止
  • 減税:住宅投資減税

などが混在しており,すべてが財政再建の方に向いていたわけではない。この点は橋本政権と対照的である。

一方,政府介入や公共事業は徹底的に抑え込まれた。既に述べたよう,これらは政官スクラム体制と密接な関係がある。

長所 短所
政官スクラム体制 利害調整 不透明
政府介入 格差の是正 硬直的
公共事業 地域の再分配 利益誘導

政官スクラム体制に批判的な人にとって,政府介入や公共事業は「利益誘導のツール」として映りやすい。したがって,政官スクラム体制解体や族議員批判の文脈では,

政府介入や公共事業が多すぎる

という声が大きくなりやすい。そのことは経済財政諮問会議で策定された骨太の方針などでも確認することができる。

(1)公共投資の問題点 - 硬直性,依存体質を生む仕組み,投資規模等

社会資本は国民生活や経済活動に不可欠のものである。(中略)しかし,昨今,我が国の公共投資には,「ムダがある」,「高コストである」,「止める仕組みがない」といった批判が多く寄せられている

―― 今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針(2001年6月26日閣議決定)

そのため,政官スクラム体制解体を訴える場合,(経済がデフレ不況かどうかということにかかわらず)公共事業は削減される方向にしか進まない

言い換えれば,小泉政権にとって公共事業は景気(経済)の問題とほとんど無関係であり,最初から最後まで構造改革(政治)の問題として位置づけられていたのである。そのことは以下の小泉首相の発言からも確認することができる。

森内閣までのときと比べて,これだけ失業率も高まっている。株も下がっている。景気も悪い。でも構造改革をしろということでやっているんでしょう。やはり,そのぐらいの覚悟がないと駄目だよ。

―― 経済財政諮問会議議事録(2001年12月10日,第32回会議)

実際,公共事業削減は財政再建よりも政治体制の文脈で議論されることが多かった。たとえば,骨太の方針の「7.財政改革プログラム」では,「21世紀にふさわしい,簡素で効率的な政府を作る」という方針のもと,「資源配分の硬直性を打破するため」に公共事業を見直すとしており,その手段として,

  • 市場メカニズムの活用(「民間でできることは,できるだけ民間に委ねる」)
  • 公共事業のコスト削減
  • 競争政策の強化
  • 電子入札の拡大
  • ハードからソフトへの転換

などが挙げられている(この点は「官僚主導から政治主導へ」,「コンクリートから人へ」を掲げて事業仕分けを行った民主党政権も同じである)。すなわち,公共事業削減は財政再建の手段のみならず,それ自体が目的とされていた。

② 金融緩和

公共事業削減は構造改革の副産物としてもたらされたが,このことはデフレ不況の悪化を招く(短期-長期の誤謬)。小泉政権はデフレ不況期(失われた10年の3番目の不況)に成立したが,政権の前半では失業率が急激に上昇している

また,国債発行の抑制を公約に掲げたものの,デフレ期の緊縮財政によって,発行残高はかえって増加した。これは積極財政を掲げた小渕政権を上回るスピードである。

景気は悪化したものの,小泉政権は「従来の需要追加型の政策(公共事業)」を強く否定していた。その結果,景気対策は金融政策へと大きく傾斜することになる。

なお,このとき世界史上初めて量的緩和が実行された。量的緩和はより強力な金融緩和政策として知られる。

量的緩和
金利引き下げよりも強力な金融緩和。金利をゼロまで引き下げた後,さらに資金を供給することで将来の金利上昇をも抑制する政策。
  • ※ 日本で「リフレ派」と呼ばれる勢力や通貨主義経済学の学者が小泉政権に対して好意的な理由のひとつは,強力な金融政策を実行したためである。

量的緩和によって失われた10年は終わりを告げる。しかし,

  • 量的緩和:市場に資金が大量に供給される
  • 公共事業削減:その資金の使い道が誘導されない

という形になったため,資金は中小企業,地方,弱者などよりも,もっぱら金融市場へと向かっていった。それゆえ,小泉構造改革では株価が上昇したものの,「実感なき好景気」と報道された。なお,ライブドアや楽天といったIT企業が勃興するようになったのはこの時期である。

第1部 Part 1でも述べた通り,こうした傾向はアベノミクスにおいてもみられた。しかし,意識的に公共事業が削減された小泉政権の方が,企業規模格差や地域格差はよりはっきりと表れている。

こうした経済状況を反映し,2006年には「格差社会」が流行語に選ばれている。


小泉政権は,

  • 短期の経済対策(景気対策)
  • 長期の経済対策(構造改革)

で後者を優先したという点において短期-長期の誤謬をおかしている。しかし,これまでみてきたよう,構造改革はそれ自体が目的と化しており(景気対策は犠牲にされた),典型的な再設計市場主義の政権であったといえるだろう。

3.日本の再設計市場主義

小泉構造改革は再設計市場主義に基づいており,それゆえ,

本来はうまくいくものが,何らかの障害物によって阻害されている

という認識が随所に記されている。

資源の移動は,「市場」と「競争」を通じて進んでいく。市場の障害物や成長を抑制するものを取り除く。(中略)「構造改革」は、こうした観点から、日本経済が本来持っている実力をさらに高め,その実力にふさわしい発展を遂げるためにとるべき道を示すものである。

―― 骨太の方針

しかし,第8章で説明した通り,再設計市場主義には

  • 政府介入を否定するあまり,強い政府介入を要請する
  • 利益誘導を否定するあまり,新たな利益誘導を生み出す

という矛盾がある。このことは小泉構造改革にも当てはまっている。

① トップダウン型予算編成

まず,

政府介入を否定するあまり,強い政府介入を要請する

という矛盾について考える。前述の通り,改革の流れのなかで,財政赤字問題はボトムアップ型予算編成と結びつけられるようになった。

  • ボトムアップ型:財務省が各省庁の要望を積み上げる形で方針を決定
  • トップダウン型:経済財政諮問会議が「骨太の方針」で予算の大枠を規定

財務省が積みあげる各省庁の予算には族議員が介入し,業界団体や地域の意向をねじ込まれることで,無駄な公共事業が増加していると考えられた。つまり,

予算が肥大化するのは,政官スクラム体制という政治構造そのものにある!

という見方である。

  • ※ これまで述べてきた通り,日本の財政赤字は歳出増よりも歳入減に原因がある。

このような見方から,族議員の介入や業界団体の利益誘導を排除するため,小泉政権ではトップダウン型予算編成へと切り替えられた。このことは「強いリーダーシップ」と評されたが,それは同時に強権的な制度変更であったことを意味している。

このことから,国家が介入主義的ではないと想定されている世界で,極端な国家介入やエリートと「専門家」による統治がなされるという逆説が生まれる。

―― D.ハーヴェイ『新自由主義』

また,「スピーディーな意思決定」とも評されたが,現場の利害調整を無視して行ったのだから当然だろう。小泉構造改革は市場メカニズムを重視したが,その方針は経済財政諮問会議を中心とした中央集権的かつ官僚主義的な体制を作り出すこととなった。

② 財界の影響力拡大

次に,

利益誘導を否定するあまり,新たな利益誘導を生み出す

という点について考える。小泉政権ではレントシーキングの疑惑がたびたび取り上げられるようになった。特に批判が多かったのは規制改革・民間開放推進会議である。

規制改革会議
小泉政権期は規制改革・民間開放推進会議と呼ばれた。経済財政諮問会議と同様,内閣府に設置されるが,財界人と学者のみで閣僚や議員は参加していない。

同会議の宮内義彦議長(オリックス社長)は10年以上にわたって政府内で規制緩和を推進してきた。しかし,そのなかには信託業務や保険商品取扱いの規制緩和など,オリックスに直接的な恩恵を与えるものが多く含まれていた。

宮内議長は平成8年に規制緩和小委員会の座長に就任して以来,ほぼ10年にわたって規制改革の旗振り役を務めてきた。(中略)

一方でオリックスが推進会議に提出した規制緩和要望は民間企業で一番多い。その中では「金融機関以外による信託会社の解禁」などが実現した。今後,混合診療の解禁で保険適用外の自由診療部分が増えれば,生命保険会社を傘下に抱えるオリックスグループにも恩恵が及ぶ。

―― 産経新聞(2006年7月25日,東京朝刊)

上記記事にある医療規制緩和(混合診療解禁,株式会社による病院経営など)については特に問題視された。多くの疑惑や批判が向けられるなか,宮内議長は任期を残す形で議長職を降りることとなった。

宮内のオリックスグループには,オリックス生命という保険会社があり,医療保険分野にも進出している。そのため宮内は医療ビジネスの進出を狙って,規制緩和を推進しているのではないかとの噂は絶えなかった。事実,オリックスは特別目的会社を設立し,高知県・高知市病院組合と提携して準備を進めていたことも明らかになっている。

―― 東谷暁『金より大事なものがある』

この問題は経済財政諮問会議にも当てはまる。大企業をスポンサーとするマスメディアでは少ないが,インターネット上では経団連こそ既得権益だと指摘する声が多い。

自民党の最大の問題は経団連と癒着していること。日本最大の既得権益である経団連を排除しなければ,この国の経済に未来はない。

実際,経済財政諮問会議の財界人枠には,発足以来,常に経団連の幹部が送り込まれてきた。なお,前述の宮内社長も経団連の副議長を兼任している。

会議開催期間 経団連関係者 当時の役職
2001年1月-2006年9月 奥田碩 会長
2006年9月-2008年9月 御手洗冨士夫 会長
2008年9月-2009年9月 三村明夫 副会長
張富士夫 副会長
2009年9月-2013年1月 (民主党政権で停止)
2013年1月-2014年9月 佐々木則夫 副会長
2014年9月-2018年10月 榊原定征 会長
2018年10月-現在 中西宏明 会長

財界の代表は法人税の減税労働規制の緩和などを訴えてきたが,別ページで述べるよう,これらがマクロ経済にプラスの影響を与えるという主張は根拠に乏しい。一方で,これらが財界の利益になることは明白である。

それにもかかわらず,経団連は依然として「既得権益の打破」を訴えており,自分たち自身が既得権益であるとは認識していない。むしろ,既得権益を壊す側の勢力であると考えている。

規制改革の歩みが遅い背景には,既得権益や利権,リスクを負うことに躊躇する国民のマインド等,さまざまな要因が複雑に絡み合う状況があるが,これらを打ち破り,改革を加速させる上で欠かせない組織や制度も機能不全に陥っており,以下の4つの問題が発生している。

―― 日本経済団体連合会『規制改革の推進体制の在り方に関する提言』(2019年3月19日)

経団連は医療ビジネスや農業ビジネスにおける規制緩和を求めているが,その文脈からすれば,政界に組織内候補を送り込む医師会農協は既得権益ということになる。しかし,政治的な力を行使する組織が既得権益ならば,経済財政諮問会議に参加して方針を決定する経団連もまた既得権益となるだろう。

むしろ,間接民主制という点からすれば,組織内候補を送り込む農協や医師会の方が民主的といえる。諮問会議の財界人は「民間議員」と呼ばれているが,これは「選挙で選ばれていない民間人」のことに他ならない。国会議員や業界団体を排除して民間人の会議が政策を決めるというのは,明らかに非民主的である。

もっとも,当時は,

日本の経済をよくするには,財界の知恵が必要だ!

ということが盛んに言われた。しかし,これが誤りであることはPart 1で示した通りである。

実際,奥田会長は会議において,デフレ経済の議論のなかで

競争力強化と高コスト体質是正のなかで物価が下がるのは当たり前

と主張しており,基礎的なマクロ経済すら理解していなかったことがうかがえる。このように,経済財政諮問会議は財界の意向が反映される場として機能していた可能性が高く,その一方で,マクロ経済政策については有効な方針を示すことができなかった。


小泉構造改革とは再設計市場主義に基づく政策パッケージであった。デフレ期の構造改革は短期-長期の誤謬にあたるが,小泉政権は短期の問題と長期の問題を誤認して構造改革を行ったのではない。敵を倒すこと(構造改革)が目的であり,これを正当化するために新自由主義経済学が持ち出され,結果として公共事業削減などの誤謬が引き起こされたのである。

  • ^1J.M.ラムザイヤー『日本政治の経済学―政権政党の合理的選択』。
  • ^2第2部で述べた通り,基礎的なマクロ経済学においては不確定性(リスク)・不確実性が考慮されていないため,「環境安定化」については基本的に言及されていない。
  • ^3(*2005年1月21日施政方針演説)
  • ^4が,これらは当時「刺客」と呼ばれ,選挙区と無関係なタレント候補などが送り込まれた
  • ^5(*2001 年 12 月4日閣議決)