Theme 2:新自由主義の政治経済
第5章 新自由主義経済学(後編)
第5章では前章に引き続き新自由主義経済学の思想について説明する。
前章で述べた通り,新自由主義経済学とは統一された論理体系ではなく,1970年代に台頭した反ケインズ経済学の総称である。なお,その学派は
- 通貨主義経済学を源流とするもの
- 通貨主義経済学を源流としないもの
に大別される。
前章では通貨主義経済学について説明した。第5章ではそれ以外の5つの学派について確認し,その後の経済学がどのような方向に進んでいったのかを概観する。
学派 | 代表的な学者 | |
---|---|---|
① | 通貨主義経済学 | フリードマン |
② | 新しい古典派経済学 | ルーカス |
③ | 実体景気循環論 | ギドラント,プレスコット |
④ | 新ウィーン学派 | ハイエク |
⑤ | ヴァージニア学派 | ブキャナン |
⑥ | サプライサイド経済学 | フェルドスタイン |
1.通貨主義経済学の発展
前章でも簡単に触れたが,通貨主義経済学は
- 新しい古典派経済学
- 実体景気循環論(リアルビジネスサイクル論)
などの学派へと展開していった。この過程を知るうえで最も重要になるのが人間の合理性に関する前提である。
通貨主義経済学では期待インフレが仮定されているため,個人は将来の予測に応じて行動を変えることになる。このことは,見方を変えれば,
通貨主義経済学:ケインズ経済学よりも合理的な人間が仮定されている
ということができるだろう。新しい古典派経済学や実体景気循環論は,この合理性がより強化される形で発展していった。
① 新しい古典派経済学
新しい古典派経済学(new classical economics)は通貨主義経済学における個人の予測能力がさらに強化される形で発展した。なお,単に「新古典派経済学」と表記される場合もあるが,ケインズ以前の新古典派経済学(neoclassical economics)と区別するため,「新しい古典派経済学」という呼称を用いている。
前章では,通貨主義経済学では数量調整が「ごく短期」に限られることを説明した。新しい古典派経済学ではこの「ごく短期」がいよいよ消滅する。
学派 | 数量調整 | 将来予想 | 機動的な財政政策 |
---|---|---|---|
新古典派経済学 | なし | ― | 無効 |
ケインズ経済学 | 短期 | ― | 効果的 |
通貨主義経済学 | ごく短期 | 期待インフレ | 経済の撹乱要因 |
新しい古典派経済学 | なし | 合理的期待形成 | 予想されるので無効 |
上記を財政拡張の例で説明する。ケインズ経済学の前提で財政拡張が行われた場合,
需要が増えた!生産を増やそう!
という形で,生産量の拡大(景気回復)がもたらされることになる。この仕組みはPart 1で述べた通りだ。
一方,通貨主義経済学の前提で財政拡張が行われた場合,
自分たちの需要だけが増えたと思ったけど,政策で全部の需要が増えだけか。生産を元に戻そう。
という形で,生産量の拡大は一時的に生じるものの,時間とともに修正されることとなる。したがって,財政拡張の効果はきわめて限定的となる。
これに対し,新しい古典派経済学の前提で財政拡張が行われた場合,
政策で全部の需要が増えるだけだから,生産を増やす意味などない。
と判断される。政策が発表された時点で将来の動きがすべて織り込まれるため,結果として,数量調整は生じないという結論が導かれる。このような個人の行動様式は合理的期待形成と呼ばれている[1]。
- 合理的期待形成仮説
- 将来の市場条件に対して個人がその確率分布をもとに期待を形成し,最適行動を選択するという考え方。
合理的期待形成が導入されたことで,新古典派経済学は事実上「復活」した。第2章で述べた通り,かつての新古典派経済学がケインズ経済学から批判されたのは,短期の数量調整を想定していなかったためである。
- 新古典派経済学の理論
- 非現実的な価格伸縮性の仮定(第2章 - 2)
しかし,新しい古典派経済学は合理的な個人を仮定することで短期の数量調整がなくなることを説明した。このことから,新しい古典派経済学は「より洗練された新古典派経済学」と考えることもできるだろう。
- ※ このため,新しい古典派経済学やそれをさらに発展させた実体景気循環論は合理的期待形成学派と呼ばれることもある。
■ 恒常所得仮説
新しい古典派経済学の重要な理論として恒常所得仮説がある。ここで恒常所得仮説を取り上げる理由は,この理論が財政再建の論拠として頻繁に用いられるからである。
- 恒常所得仮説
- 平均消費性向は長期的に安定して獲得できる所得(恒常所得)によって決定され,一時的な所得変動には左右されないとする考え方。
新しい古典派経済学において,消費の意思決定には恒常所得の大きさが重要とされる。会社から一時金を支出されても,ベースの給料(恒常所得)が増加するわけでなければ,人は生活スタイルを変化させない。これが恒常所得仮説の基本的な考え方である。
これをマクロ経済学に適用した場合,「ワンショット限りの公共事業,減税,給付金は個人の消費行動に影響を与えない」という結論が導かれる。特に「合理的な予測」を前提とした場合,現在の財政支出は将来の増税によって贖われるため,いかなる財政政策も経済効果は相殺されることになる。
公共事業のお金は将来の増税で回収される。需要の先取りでしかないのだから,バカでもない限り,目先の政府支出で消費を増やすなんてことはない。
同様のロジックで,恒常所得仮説に基づけば,増税も影響を与えないことになる。むしろ,合理的な予測を前提とする場合,増税によって将来の財政状況が安定するならば,長期的には消費にプラスの影響を与えると解釈することもできるだろう。
経済学は,「消費は所得の短期的な変動によって変動するのではなく,所得の長期的な見通しに依存する」とも指摘している(これを「恒常所得仮説」という)。したがって,一時的な減税や給付金によっては,消費は増えない。増加した所得は貯蓄に回るだけで,経済活動を拡大する効果は持たないのだ。
消費税増税を再延期しても,経済は活性化しない。なぜなら,再延期によって日本経済の長期的な見通しが悪化するからである。
―― 週刊ダイヤモンド(2016年05月21日)より野口悠紀雄教授(早稲田大学)
もっとも,上記の主張に関しては,
買い物をするとき,将来の財政バランスを気にして消費額を決めるのか
という疑問を持つ人もいるだろう。後述する通り,新しい古典派経済学や実体景気循環論の合理的個人に対しては「現実離れしている」という批判がついて回ることになる。
② 実体景気循環論
実体景気循環論は新しい古典派経済学において仮定されていた個人の合理性を究極まで推し進めた学派といえる。なお,名前は「ビジネスサイクル」「景気循環」となっているが,一般にイメージされる景気循環とはかなり異なる解釈がとられている。
- ※ 実体景気循環論は新しい古典派経済学のひとつとして位置づけられる場合がほとんどである。ただし,当サイトではこれを分けて説明する。
なお,各国の政府機関や中央銀行で用いられている動学的確率的一般均衡モデル(DSGEモデル)は,この実体景気循環論の考え方をベースとしている。
実体景気循環論における最大の特徴は外的ショックの解釈にある。簡略化して述べるが,新しい古典派経済学において,経済政策(内的ショック)は人々の行動に影響を与えないとされた。実体景気循環論においては技術革新,戦争,災害(外的ショック)すらも経済の撹乱要因にはならないと考えられている。
学派 | 裁量的な経済政策 (内的ショック) |
戦争や災害など (外的ショック) |
---|---|---|
通貨主義経済学 | 経済攪乱要因 | 経済攪乱要因 |
新しい古典派経済学 | 影響なし | 経済攪乱要因 |
実体景気循環論 | 影響なし | 影響なし |
そんなはずないだろ!予想されないショックで経済が混乱することなどいくらでもあるはずだ!
仮に大規模な生産量の変化が生じたとしても,実体景気循環論ではそれを「新しい平常状態」と解釈する。つまり,生産が減少したとしても,それは異常事態(均衡からの乖離)ではなく,合理的な個人がそれに合わせて一斉に生活スタイルなどを変更した結果(均衡の変化)だというのだ。市場が常に均衡状態にあり,効率的な資源配分が行われているとする点で,実体景気循環論は究極の新古典派経済学ということができるだろう。
③ 合理的期待形成仮説の行方
以上より,両学派は個人の合理的な意思決定をすべての基礎に置いている。
このような人間観の設定はミクロ経済学とマクロ経済学の結合を進めることとなった(ミクロ的基礎付け)。
- ミクロ的基礎付け
- 合理的な個人の行動による説明をマクロモデルの基礎とすること。それまではマクロ経済データの関係を推定する構造方程式モデルが用いられてきた。
Part1で述べた通り,ミクロ経済学とは合理的な意思決定を行う個人の行動から経済を分析する学問である。その観点からすれば,新しい古典派経済学はミクロの積み上げによってマクロを説明する学派といえるだろう。後述するように,この傾向はケインズ経済学にも波及していくこととなる。
両学派は個人の合理性からスタートし,そこから経済モデルを構築していく(合理的期待形成)という点で,きわめて洗練された理論体系を持っている。また,それぞれの動きがミクロ経済学によって基礎付けられているため,数学的な厳密性も高い。「数式ばかりのマクロ経済」というイメージは両学派からきているといっても過言ではない。
一方,(おそらく経済学を専門としていない人ほど感じていると思うが)両学派に対しては大きな批判が存在する。それは「嘘くさい」ということだ。
学派 | 長所 | 短所 |
---|---|---|
新古典派総合 | 政策科学としての性格が強い | 論理的な厳密性を欠いている |
新しい古典派経済学 | 論理的な厳密性が高い | 現実離れしている |
もちろん,これまでの記述はかなり単純化したものであり,現在,それらのモデルには様々な改良が加えられている。しかし,「合理的な個人という前提を設定し,そこから結論を論理的に導出する」というアプローチをとっている限り,現実の描写力には限界がある。
- ミクロ経済学的アプローチ
- ミクロ経済学の限界(第3部 Part1 第8章 - 3)
実際のところ,実体景気循環論によって経済の全容を把握できると考えている経済学者はほとんどいないといっていい。Part1で述べた通り,社会科学である経済学には複数の見方が併存することになる。したがって,最終的にはバランスの問題に帰着する。
第2節で論じた通り,リアル・ビジネス・サイクル型のモデルおよびケインジアンのモデルは,短期の経済変動を分析するただ2つの(それしかない)アプローチということではなく,モデルの連続体の両極なのである。(中略)
ケインジアンのアプローチもリアル・ビジネス・サイクルのアプローチもいずれも価値があり,マクロ経済学者はその双方をさらに研究すべき,と結論づけたいところである。そういうことには少なからぬ真実が含まれていることは明らかだ。
―― D.ローマ―『上級マクロ経済学』
もっとも,リーマンショック以降,これまでの経済学は新しい古典派経済学や実体景気循環論の見方に偏っていたのではないかと考えられるようになった。特に強い合理性を仮定した人間像は空理空論であるとの批判を浴びることとなる。このことについては第11章で詳しく説明する。
2.その他の新自由主義経済学
次に,通貨主義経済学にルーツを持たない新自由主義経済学の学派について説明する。
具体的には,ウィーン学派(新古典派経済学)にルーツを持つものと,サプライサイド経済学とに分けられるが,後述する通り,サプライサイド経済学は学術的にほとんど相手にされていない。一方,新ウィーン学派のF.A.ハイエクは新自由主義を代表する人物と目されることが多く,おそらくフリードマンの次に名前の挙がる経済学者である。
レーガン,サッチャーに代表される政策はリバタリアニズム(自由至上主義)に基礎を置くもので,ハイエクやフリードマンといった思想家の考え方に立脚している。リバタリアニズムでは,規制のない自由な経済取引を保障することこそが経済政策の根幹と考える。
―― 週刊東洋経済(2009年1月10日)
ただし,ハイエクとフリードマンの人間観には重要な違いがある。以降では,そのことを中心に説明する。
① ウィーン学派の発展
新ウィーン学派やヴァージニア学派の説明に入る前に,新古典派経済学のひとつであるウィーン学派について簡単に説明する。第2章では単に「新古典派経済学」と呼んでいたが,厳密にいえば,新古典派経済学とは以下の3学派をまとめた呼び方とされている。
- ケンブリッジ学派
- ローザンヌ学派(一般均衡学派)
- ウィーン学派(限界効用学派)
上記の学派は何らかの特徴で分派したというわけではなく,もともと独立した3つの学派として存在しており,それらに似たような特徴があったため「新古典派経済学」としてまとめられた。なお,新古典派経済学の特徴は第2章で述べた通りである。
- 新古典派経済学の理論
- 新古典派経済学の特徴について(第2章 - 2)
一方,これらの学派はまったく同じというわけではない。特にウィーン学派は
ウィーン学派:個人の合理的意思決定にすべての基礎を置く
という特徴がある。この点は新しい古典派経済学や実体景気循環論と同じといえるだろう。
ウィーン学派において「個人からスタートする」という考え方は徹底されている(他2学派にこの性質はほとんど見られない)。たとえば,社会科学における方法論的個人主義と呼ばれる考え方も,ウィーン学派の創始者であるメンガーの方法論争が発端となっている。
- 方法論的個人主義
- 社会を個人の意思決定の集合として理解する考え方。
- 方法論争
- 1880年代に経済学の分析方法をめぐって行われた論争。
方法論争はウィーン学派とドイツ歴史学派の間で行われたものだが,メンガーは経済学を「時代や地域を超えた個人に当てはまる一般原理」と位置付けていた。
学派 | アプローチ |
---|---|
ウィーン学派 | 演繹法(普遍的原理) |
ドイツ歴史学派 | 帰納法(歴史研究) |
なお,後に新古典派経済学が興盛したことからもわかるよう,経済学では一般原理が重視される方向に進んでいく(ドイツ歴史学派は経済社会学として社会学に統合されていく)。
一方,時代が進むにつれて,新古典派経済学の中心は一般均衡理論へと移っていった。そのため,「個人の行動によってどのように市場が変化するか」という点を重視するウィーン学派は徐々に非主流化していくことになる。
学派 | ウィーン学派 | 他の新古典派経済学 |
---|---|---|
普遍的経済原理 | 〇 | 〇 |
古典派の二分法 | 〇 | 〇 |
一般均衡 | △ | 〇 |
個人の意思決定 | ◎ | △ |
こうした一般均衡理論中心の流れに対峙する形で,ウィーン学派からは新ウィーン学派とヴァージニア学派が生まれた。以降では両学派の特徴について確認する。
② 新ウィーン学派
一般均衡理論の台頭で非主流化していたウィーン学派は,1970年代にアメリカで新ウィーン学派として復活することになる。
新ウィーン学派はウィーン学派の特徴のうち他の新古典派経済学とは異なる部分をメインに継承している。すなわち,個人の意思決定という点に重きが置かれており,そこから独自の貨幣論が導出された。ウィーン学派と新ウィーン学派の区別はこの貨幣論をもって行われる場合が多い[2]。
- ※ アメリカへ拠点を移したミーゼス以降を新ウィーン学派とする場合が多いが,時間と利子の関係についての研究を行ったベーム=バヴェルクを含める場合もある。また,ハイエクのケインズ経済学批判とノーベル経済学賞受賞が大きな注目を集めたことから,ハイエク以降を新ウィーン学派とする場合もある。
簡略化していえば,新ウィーン学派における貨幣市場の理論とは,
- 家計の意思決定:現在の消費と将来の消費(現在の貨幣)の比較
- 企業の意思決定:生産で得られる利益と借入で支払う金利の比較
に基づいて調整されるというものである。このような現在と将来のバランスは時間選好によって決定される。
- 時間選好
- 消費(現在)と貯蓄(将来)のバランスを決定する個人の選好度。
このように,新ウィーン学派は時間の概念を個人の意思決定に落とし込むことで貨幣市場を説明した。その場合,適切な金利水準は市場(時間選好の集まり)によって決まる。こうした考え方に基づき,新ウィーン学派は裁量的に金利水準を誘導しようとするケインズ経済学に反発した。
■ 新ウィーン学派の人間観
おそらく,上記の説明だけならば,ほとんどの人は
え,なんでこの批判でフリードマンの次にハイエクが有名になるの?ちょっとインパクト弱くない?
と思うだろう。実のところ,新ウィーン学派がケインズ経済学に反発する理由はもっと哲学的・思想的な部分にある。
これまで述べてきた通り,ウィーン学派は経済を個人からスタートさせ,「それらがどのように調整されていくのか」というプロセスを重視してきた(それゆえウィーン学派の系統は市場過程論と呼ばれることもある)。したがって,ウィーン学派には
ウィーン学派:市場は人々の試行錯誤によって調整されるシステム
という経済観がある。重要なのはこの「試行錯誤」という部分だ。ウィーン学派において市場とはプロセスそのものであり,需給を一致させる完成されたシステムではない。
このことは,前述の「一般均衡理論の台頭でウィーン学派が非主流化した」という歴史とも関係する。ウィーン学派は市場をプロセスと考えるため,そもそも市場均衡という考え方自体に否定的だ。その意味において,需給曲線の均衡によって表現される新古典派経済学,ケインズ経済学,通貨主義経済学の市場理論は,新ウィーン学派からすれば,いずれも同じ問題を抱えていることになる。
この市場観の根底にある人間観こそ新ウィーン学派最大の特徴である。新ウィーン学派は
- 裁量的な財政政策に否定的
- 市場メカニズムを重視する
という点において通貨主義経済学などと同様の見解を持つ。しかし,その人間観はほとんど真逆といっていい。
学派 | 市場 | 人間観 | 結論のニュアンス |
---|---|---|---|
通貨主義経済学 | 均衡 | 合理的 | 市場は優れているから政府介入は不要 |
新ウィーン学派 | プロセス | 非合理的 | 政府介入は無理だから市場の方がマシ |
前章で述べた通り,通貨主義経済学が政府介入に否定的なのは,期待インフレによって数量調整が「ごく短期」にしか表れないからである。すなわち,
人間は合理的に動くのだから,政府の市場介入はかえって撹乱要因になる
というのが彼らの主張である。
一方,新ウィーン学派が政府介入に否定的なのは,「均衡の計算」という概念を認めていないからである。すなわち,
合理的な計算などできないのだから,政府が適切に市場介入などできるはずがない
というのが彼らの主張である(この傾向は特にハイエクに強くみられる)。
以上からもわかる通り,新ウィーン学派がもっとも否定的なのは共産主義やファシズムといった計画経済の思想である。実際,社会主義に一定の期待がもたれていた1920~30年代,ミーゼスやハイエクはこれを厳しく批判した(経済計算論争)。このような経緯から,ハイエクの思想は政治学(特に自由主義・保守主義の文脈)で取り上げられることも多い。
- 経済計算論争
- 社会主義経済が可能かどうかという経済学上の論争。新ウィーン学派は「人々は市場の手助けがなければ情報を得られない」として社会主義経済の可能性を否定した。
一言でいえば,新ウィーン学派のケインズ経済学批判はこの延長にある。共産主義ほどではないにしろ,政府介入を認めるケインズ経済学には一定の「計画性」がある。オイルショック以降にケインズ経済学への批判が強まると,福祉国家に批判的な英米の右派[3]を糾合する形で,新ウィーン学派の考え方は政治と学術の両面に大きな影響を与えていった。
③ ヴァージニア学派
ヴァージニア学派は公共選択学派とも呼ばれ,ゲーム理論をベースに政治的な意思決定を説明する。なお,ゲーム理論はウィーン学派のO.モルゲンシュテルンと数学者のJ.F.ノイマンを中心に形成され,当時主流だった一般均衡理論に対する重要な対立軸となった[4]。
学派 | 基本的な環境 | プレイヤーの関係 |
---|---|---|
従来の一般均衡理論 | 完全競争 | 独立(価格受容者) |
ゲーム理論 | 不完全競争 | 相互依存的 |
なお,ゲーム理論は,
- 個人(プレイヤー)からスタートする
- 伝統的な一般均衡理論(完全競争市場)に批判的
という点でウィーン学派の特徴を継承しているが,
- 合理的な意思決定を仮定する
という点は新ウィーン学派と対照的である(むしろ新しい古典派経済学などに近い)。
ヴァージニア学派の創始者であるブキャナン教授(シカゴ大学)はゲーム理論の枠組みを応用し,裁量的な経済政策がうまく機能しないことを指摘した。なお,その理由はもっぱら政治学的なものといえる。ここではそのメカニズムについて簡単に説明する。
■ 財政赤字批判
以下はケインズ経済学における政策枠組みを単純化したものだ。
経済状態 | 問題 | 対策 | 結果 |
---|---|---|---|
デフレ経済 | 不況 | 減税,公共事業拡大 | 不況とデフレが解消される |
景気過熱 | インフレ | 増税,公共事業削減 | 高インフレが抑えられる |
ここで重要となるのは景気過熱時の対応である。上記の枠組みに従うならば,増税や公共事業削減が有効な政策となるだろう。しかし,増税などの政策は国民から支持されにくい。そのため,政治家は(自身の当選のために)景気拡張策しかとらなくなる。それゆえ,民主主義国の場合,財政赤字は拡大する方向にしか進まないという結論が導かれる。
この問題を解決するため,ブキャナン教授は憲法に均衡財政を明記するよう提言した。こうした経緯から,ヴァージニア学派は財政均衡主義と呼ばれる場合もある。
この話逆じゃなくて?日本ではデフレ対策で財政を拡張した内閣は失脚して,国民からは公共事業削減とか事業仕分けとかが支持されたんだよね?
実際,日本に限らず,デフレ不況時の財政拡張に国民が反発するケースは珍しくない。これは短期-長期の誤謬が景気過熱時とデフレ不況時に真逆の形で表れることに起因している(第4部で詳述)。
経済状態 | 問題となる誤謬 | 失政の内容 |
---|---|---|
デフレ経済 | 長期政策の優先 | 応急処置を無視した過激な根本治療 |
景気過熱 | 短期政策の優先 | 目先の利益を優先した課題の先延ばし |
ブキャナン教授が問題視した構造は「長期の政策よりも短期の政策が優先される」というものだった(オイルショック時)。一方,バブル崩壊後の日本などで生じた問題は「短期の政策(デフレ対策)よりも長期の政策(構造改革)が優先される」というものである。以上より,財政均衡主義は景気過熱を抑えるアンカーとして機能するかもしれないが,デフレ不況時には足かせとなりやすい。
■ 公共選択論(政治学への展開)
ヴァージニア学派の最も大きな功績は,政治学の分野にミクロ経済学(ゲーム理論)のアプローチを持ち込んだことである。たとえば,前述のケインズ経済学批判も,理論そのものに対してではなく,政治プロセスに対して行われたものだった。これは経済学的手法を政治的意思決定の分野まで拡張したものに他ならない。現在,この学術分野は公共選択論として知られている。
- 公共選択論
- 政治的意思決定を経済学的手法で分析する学問。政治家や官僚をゲーム理論のプレーヤーとして捉え,その関係を分析する。
当然ながら,公共選択論自体は反ケインズ経済学の学問ではない。ヴァージニア学派などが問題としているのは,
政治プロセスまで議論を広げた場合,その政策は本当に実現可能なのか
という点である。すなわち,彼らはケインズ経済学の前提が政治学的にみて非現実的であると主張しているのだ(ハーベイロードの前提)。
- ハーベイロードの前提
- ケインズ経済学で暗黙のうちに仮定されている「政策決定者は公正なエリートで,自己の利益と無関係に政策を執行する」という前提。ハーベイロードはケインズの出生地で,イギリスの知的階級が集まる通りとして知られている。
一方で,公共選択論にも非現実的な前提が置かれている。それは新しい古典派経済学や実体景気循環論と同様,合理的な意思決定を行う個人の存在だ。この問題は政治学の場合,致命的といっていい。
ブキャナン教授は財政政策を憲法によって制約すべきだと述べたが,それはゲーム理論の構造から導出された解であった。仮に政策がゲーム理論で説明されるならば,合理的な個人は皆,何らかの合意(解)に達するだろう。そして,それらはルールの設定(憲法への明記など)という形で解決されることになる。
そりゃ,裁量的な経済政策を否定してるんだから当たり前なんじゃないの?その方が政治家の利益誘導もなくなるし,よりよい政治が実現されると思うんだけど。
しかし,ここには重大なパラドックスが存在する。仮にたったひとつの合意(解)があり,それがルール設定によって実現可能ならば,すべての政治プロセスは不要となる。事実,前述の財政均衡主義は憲法によって政治的な裁量の制限を求めるものであった。すなわち,ゲーム理論で解を導けるならば,もはや「政治」は必要とされず,官僚機構だけで事足りるという結論になる。
しかし,現実には様々な政治的価値観が存在し,それゆえに政治プロセス(話し合い)が必要とされる。言い換えれば,価値観が多様になるほどゲーム理論的なアプローチは機能しにくくなる。結局のところ,公共選択論は複数存在する見方のひとつでしかない。Part 1で述べた通り,その見方がよくあてはまるときもあれば,そうでないときもある。これはケインズ経済学も同じだ。
これまでの議論をまとめると,ヴァージニア学派によるケインズ経済学批判は1970~80年代の社会(高インフレ)にフィットしたかもしれないが,前述の通り,バブル崩壊後の日本やリーマンショック後の先進国(デフレ経済)を論じるうえでは不適当といえる。
以上より,理論と現実の間に何らかの問題が生じていたとすれば,それはヴァージニア学派が間違っているからでも,ケインズ経済学が間違っているからでもなく,適用するモデルが状況にあっていなかったからである(これはPart 1で述べた社会科学の本質である)。このモデル適用をめぐる問題は第11章で再び説明する。
④ サプライサイド経済学
サプライサイド経済学は供給増強を重視する学派であり,オイルショックによって生じたスタグフレーションを解決するものとして注目された。スタグフレーションとは供給曲線の左シフトによって生産縮小(不況)と物価上昇(インフレ)が引き起こされる現象である。
したがって,供給曲線を右にシフトさせれば問題は解決する。これがサプライサイド経済学の基本的な考え方である。
上記は魅力的な考え方だが,致命的な問題がある。それは「果たしてそんなことが可能なのか」ということだ。サプライサイド経済学では具体的な方策として,
- 企業減税や規制緩和で投資を活性化させる
- 家計減税で貯蓄を増加させる
- できるだけ競争原理の働く民間に任せる(小さな政府)
といったことが挙げられているが,これらが供給曲線をシフトさせるという経済学的な裏付けはほとんどない。それゆえ,サプライサイド経済学は学術界ではほとんど相手にされていない。
じゃあ何で新自由主義の学派として取り上げたの?あんまり重要じゃないんじゃなくて?
サプライサイド経済学が重要な点は,それが現実の政策で採用されたことである。上記の政策案は直観的であったため,1980年代のアメリカで右派を中心に強い支持を集めた。
- ※ 上記の政策が直感的な理由として,減税や規制緩和が個人にとって望ましいと考えられやすいということが挙げられる。ただし,個人にとって望ましいから,その集計である国全体にとっても望ましいと考えるのは全体-個別の誤謬に他ならない。
レーガン政権では,当初サプライサイド経済学に基づいた政策が志向された(レーガノミクス)。もっとも,最終的には軍事支出の増大が需要を拡張し,典型的なケインズ政策に変節したという評価が一般的となっている。
サプライサイド経済学は現実の政治に適用されたものの,当初想定されたような効果は表れなかった。それゆえ,現在では理論面のみならず実証面でも有効性が疑問視されている。
サプライサイド・エコノミックスは政治の世界で華々しい成功を収めたが,それが正しかったことは一度もない。そして,その失敗はサプライサイド・エコノミックスの愚かな側面を露呈したかもしれないが,それは突然破綻したのではない。常にそうだったのである。
―― P.クルーグマン『グローバル経済を動かす愚かな人々』
3.ケインズ経済学の展開
最後に,新自由主義経済学から批判を受けた新古典派総合(ケインズ経済学)がどうなったのかについて説明する。ケインズを源流とする思想は大きく2つに別れたといえる。
ひとつは,新古典派総合の理論をより精密化する流れである。この学派は新ケインズ経済学(ニューケインジアン)と呼ばれ,準主流の経済学として残り続けた。
もうひとつは,新しい古典派経済学などの過度な合理性を批判する流れである。この学派はポストケインズ経済学と呼ばれる。なお,ポストケインズ経済学はケインズの理論がケインズ経済学へと再編されたことに反発して生まれたため,新自由主義経済学が台頭するはるか以前から存在した。
新ケインズ経済学と異なり,ポストケインズ経済学は亜流の経済学として,さほど注目されることはなかった。しかし,リーマンショックを受けて,H.ミンスキーの金融不安定性仮説に関心が集まるようになり,現在では現代貨幣理論(MMT)として一定の存在感を示している。
① 新ケインズ経済学
新古典派総合は理論面での厳密性が欠けていたことで,新しい古典派経済学などから批判されることとなった。これに対応して勃興したのが新ケインズ経済学である。
第2章で述べた通り,新古典派総合の枠組みは短期経済と長期経済を分けて考えるものであった。
期間 | 学派 | 価格 | 企業の意思決定 |
---|---|---|---|
短期 | ケインズ経済学 | 硬直的 | 数量調整 |
長期 | 新古典派経済学 | 伸縮的 | 価格調整 |
これに対し,新しい古典派経済学などは「合理的な人間を仮定すれば,短期の数量調整は生じない」と指摘した。一方,新ケインズ経済学では「合理的な人間を仮定しても,短期の数量調整は生じる」と考える。
学派 | 数量調整 | 理由 |
---|---|---|
新古典派総合 | 短期 | 企業の意思決定 |
新しい古典派経済学 | なし | 合理的な予測により価格は伸縮的 |
新ケインズ経済学 | 短期 | 合理的な理由により価格は硬直的 |
新ケインズ経済学ではミクロ的基礎付けによって価格硬直性を説明する。具体的には,
- 得られる情報に限界があるため,価格は即座に調整されない
- 頻繁な価格改定はかえってコストが高くなるので,価格は伸縮的に動かない(メニューコスト理論)
- 賃下げは労働者の士気に強く影響するため,賃金は硬直的になる(効率賃金仮説)
といった理論が適用される。これらの前提が組み込まれている場合,個人が合理的に意思決定を行ったとしても,価格は容易に調整されないという結論が導かれる。
このように,新しい古典派経済学が台頭して以降,ケインズ経済学の主流も新ケインズ経済学へと変わっていった。すなわち,経済学全体が,
- ミクロ的基礎付けによる説明
- 合理的意思決定を行う個人
- 数理モデル中心
といった方向へと傾斜していったのである。
そのため,
過度に合理的な個人を設定しており,現実離れしている
という批判は,新しい古典派経済学や実体景気循環論のみならず,新ケインズ経済学にも当てはまる。
もちろん,新しい古典派経済学などの場合と同様,現在では様々なモデル改良が行われており,現実を表現する精度は高まっている。しかし,ミクロ的基礎付けというアプローチの性質上,現実の描写力には限界があることはすでに述べた通りである。
② ポストケインズ経済学
主流の経済学に対し,合理的意思決定の前提を批判したのがポストケインズ経済学である。ポストケインズ経済学は不確実性を重視することで,主流派経済学の想定する市場均衡に懐疑的な立場をとった。
不確実性を重視するって,新しい古典派経済学とかでも重視してたよね?合理的期待形成とか,不確実な将来に対して合理的な意思決定が行われるって話じゃなかった?
厳密にいえば,新しい古典派経済学や新ケインズ経済学が想定しているのは不確実性ではなく不確定性である。
- 不確定性:確率的に予想できる場合
- 不確実性:確率的にも予想できない場合
別ページで詳述するが,不確実性がある場合,市場メカニズムは十分に機能しない。そして,その意思決定は期待形成(将来予測)ではなく,現在の慣習に引っ張られることになる。なお,これはケインズ自身が繰り返し述べてきたことでもある。
現実には,ふつうわれわれは意識せずとも,その実誰しも慣習を頼んで事に処している。この慣習の本質は――といってもちろん物事はそう単純には行かないが――現在の事態は変化を期待することさらの理由がないかぎり,これから先どこまでも,このまま続いていくと想定するところにある。このことは,現在の事態がいつまでも続くとわれわれが本当に信じているということではない。(中略)それにもかかわらず,上の慣習的計算方法は,慣習の持続をあてにすることができるかぎり,われわれの事業に相当程度の連続性と安定性をもたらすだろう。
―― J.M.ケインズ『雇用,利子および貨幣の一般理論』
このように,ケインズ自身は不確実性を重視しており,市場均衡という考え方にも批判的だった。一方,ケインズ経済学はIS-LM分析にみられるよう,均衡モデルを用いた説明を中心においている。こうした問題をめぐり,ケインズの理論はケインズ経済学とポストケインズ経済学に分離していった。
- ※ IS-LM分析の考案者であるヒックスはポストケインズ経済学からの批判に対して「最低限の近似でしかない」と回答し,その欠陥を認めている。なお,後にヒックスはポストケインズ経済学よりの考えに傾斜するようになり,自らIS-LM分析や市場均衡理論に対する批判を展開している。
こうした経緯からもわかる通り,ポストケインズ経済学の方がケインズ経済学よりもケインズの考え方に近いといえる[5]。ただし,その実態は,
- 不確実性を重視する
- 市場均衡に懐疑的
- 限界生産力説に否定的
という共通点があるだけで,混成グループといった性格が強い。
③ 現代貨幣理論(MMT)
リーマンショック以降,合理的意思決定に基礎を置く経済学が批判されるようになると,市場メカニズムに懐疑的な姿勢を示すポストケインズ経済学は再び脚光を浴びるようになった。そのなかで強い注目を集めたのが現代貨幣理論(MMT)である。
理論の詳細については別ページで述べるが,これまでの短期経済・長期経済の枠組みに従えば,現代貨幣理論は長期的にも財政政策が有効であると想定する。その究極的な理由は,新しい古典派経済学と真逆で,合理的な個人を想定していないからだ。
学派 | 数量調整 | 理由 |
---|---|---|
新しい古典派経済学 | なし | 個人の合理性 |
ポストケインズ経済学 | あり | 個人の非合理性 |
なお,現代貨幣理論に対しては「財政拡張の理論」というイメージが強い。
MMTって最近よく聞くけど,国債発行して財政拡張しまくってもいいみたいな理論って本当なの?これまでの経済学とだいぶ違いそうな感じ。
これも簡略化して述べれば,「政府が財政拡張で実体経済の需要を誘導しない限り,金融を緩和しても資金が経済に回らない」という考え方からきており,その背後には慣習によって行動する(ある意味で)非合理的な人間像がある。
これまで様々な学派の考え方を述べてきたが,最も重要なことは,
適切な経済政策はその人間観・社会観によって変わる
ということである。もちろん,Part 1で述べた通り,どの人間観・社会観がよく当てはまっているかということは,そのときの状況によって変わる。
- 巨大予測システムの陥穽
- 社会科学と知識の水平的蓄積(第3部 Part1 第9章 - 3)
実際,新自由主義経済学の人間観・社会観にはいくつもの欠陥があった。Part 2の残りの部分では,その問題が露呈した歴史について説明する。
- ^1合理的期待形成は「将来を正確に予測できる」という意味ではない。個人の予測には当然ばらつきは生じるが,それを平均すれば,概ね確率的に正確な予測値が得られるという考え方である。
- ^2新ウィーン学派(Neo-Austrian)という呼び方はJ.R.ヒックスの『資本と時間 - 新オーストリア理論』から始まったとされる。そこでは資本と時間選好の理論をもって「新」とされている。
- ^3アメリカやイギリスにはファシズムの歴史がなかったため,両国にはネオナチのようなファシストがほとんどいない。英米の右派は設計主義的な思想を嫌うため,ファシズムと共産主義はほとんど同じ文脈で批判される。
- ^4ゲーム理論を確立した古典とされるJ.F.ノイマンとO.モルゲンシュテルンの『ゲームの理論と経済行動』は,完全競争や経済主体の独立性(それぞれの行動が互いの戦略に影響を与えないこと)を前提としている一般均衡理論への批判に基づいてゲーム理論の定式化を行っている。
- ^5ポストケインズ経済学の一派は「ケインズ原理主義」と呼ばれることもある(J.E.キング『ポスト・ケインズ派の経済理論』よりB.ジェラード「原理主義のケインジアン」)。